長崎市出身の画家、渡辺 与平。(婿養子に入る前の姓は宮崎)明治22年~明治45年。

資料によって若干の誤差はありますが、22歳で咽頭結核と肺炎の為、死去とあります。
画家としての活動はおおよそ6年ぐらいでありながら、竹久夢二のライバルと言われた画家でした。
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「郷土作家」というものに、特別なんら思いは、ない私ですが、それでもこの人の作品は実物をちゃんと見てみたいとずっと思っていました。

「帯」(明治44年)
妻、ふみ子を描いた油彩。
長崎県美術館に収蔵されており、平成24年秋に開催された企画展で初めて鑑賞することができました。
やはり、すばらしいものでした。妻・ふみ子はほぼ等身大に描かれており、作品から愛情の細やかさというものが伝わってきました。
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13歳にして京都市立美術工芸学校絵画科に入学し、21歳で結婚、2児をもうけ、22歳にして死去。
・・・1文で締めくくっては申し訳ないのですが、こういう人なのです。

「白日」(明治41年)
18歳の時、体を壊し、療養の為帰省した長崎市・千馬町で描いた油彩です。
背景にも数頭の馬がおり、合計5頭もの馬が描かれています。当時の千馬町は、商店や倉庫が建ち並び、荷物を運ぶための馬が多く停留していたようです。また長崎の地は中国大陸に近く、千馬町には多くの軍馬が大陸に送るため集められていたともいいます。
実際の作品は意外に小さなものでしたが、この長崎での馬の姿が後の作品「金さんと赤」につながったことがうかがえます。
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療養を終え、上京した与平が、モチーフとして描いたのは、隅田川沿いを行く馬方と馬でした。
労働者の姿を描くことを切望していた与平は、荷馬車の絵を描くために、当時その往来のもっとも繁かった板橋街道へ毎日出向いて、気に入った荷馬車を探していたといいます。

「金さんと赤」(明治41年)
この作品、実物を見ると、その彩色の鮮やかさに圧倒されました。下画像を10倍くらい鮮やかにしたと言えば想像がつくでしょうか。
その「色を放つ」色彩の強さはこの作品をのぞけば、他にはゴッホのものくらいでしょうか!
ぜひ直に鑑賞していただきたい作品です。
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荷馬車を引く馬、労働者・・・そして与平がモチーフとして多く描いたのが、子どもでした。
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「コドモ絵ばなし」の序文の中でも、
『こども 私は、子どもが、大好きでございます。 出来ることなら、私も、も一度、子どもになってみたいと思います。 そうして、いつまでも、いつまでも、子どもであったら、どんなにか嬉しかろうと思います。 私は、皆さんのお友達になって、いつまでも、いつまでも、子どもの絵を描いていようと思います。』
という言葉を残しています。
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私がお勧めする「長崎の遺産」がこの渡辺与平の作品です。機会がありましたら、ぜひご覧になっていただきたいと思います。

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