2010年の3月4日、長崎市の許可の元、テレビ番組の収録で、軍艦島に入った時に撮影した画像を紹介したいと思います。
その時の画像を元に、私の本の中の数点の作品がつくられました。

これから紹介するのは、「無人となった空間」ですが、その一枚一枚の中に、とてもあたたかなコミュニティの中で生活していた、子どもたちや人々の姿を重ねて見ていただければ、幸いです。


大正5年に建てられた、7階建て(地下1階)の30号棟。日本最古の鉄筋コンクリート製(RC)建築と言われています。
そして、ツアーにおいて、もっともゲストの方がコースから近づいて見ることのできる建物でもあります。
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30号棟の立つ外洋側南西部は、船で言う「ブリッジ」の場所にあたり、ひとたび海が荒れると、一番激しい風雨、波が打ちつける場所でした。
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波や風のはげしく当たる場所に立つ為、30号棟は採光部を中心にとる「ロ」の字型をしています。これは当時の鉱山技師たちが苦心の末、設計したものでした。
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「雨水が漏れてくる」などの欠点もあったようですが、「採光」という面では、見事に成功しているように思われます。
また。吹き抜けの周りの部屋から出てきた住人達は、この吹き抜けのまわりにあった炊事場や洗面所に集まって、世間話に花を咲かせるなど、連帯意識にとっては大いにプラスとなったようです。
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吹き抜けに沿った階段を上っていくと、屋上に出ることが出来ます。この屋上も、コミュニティにとって、重要な共同空間となったようですね。
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しかし、風がもろに当たる場所にある上に、年代ものですから、建物の中は、このような状態となってしまっています。ほとんど壁が抜けてしまっています。
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大正時代、昭和初期には、下図のように、日給社宅とともに、軍艦島の堂々たる近代的な建築物でした。さしずめ、「近未来的な人工島」と言うべきでしょうか・・・
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しかし、「軍艦島のブリッジ」である、30号棟も、時の流れとともに、老朽化が目立つようになります。昭和32年に建てられた左横の31号棟とは、壁の色が、こんなにも違います・・・
31号棟

日本最古のRC建築の30号棟も、閉山間際には、嘱託社員さんや関連会社の人が多く入居するアパートとなっていたようです。
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30号棟と並んでいた2棟。左が、「防波棟」と呼ばれ、浴場や郵便局のあった31号棟。右は、旅館やスナックなどの入っていた25号棟です。
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南を見ると、海底坑道の伸びていた三ッ瀬が見えます。
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余談ですが、30号棟の角、小さな窓の部分は共同トイレです。
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景色はいいのですが、風が強い日は使用するのが、大変だったそうです。また、小さな子どもは、夜、トイレに行くのが怖かったそうで、夜中にどこかの子がトイレに出ていくと、次々に扉が開いて、用を足しにいく子どもがぞろぞろ出てきたそうです。
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そんな30号棟、95年経ってもまだ、立っていられるのは、この島にあったからで、もしこれが本土であったならば、とっくに取り壊されて駐車場にでもなっていたことでしょう・・・。
軍艦島の長老として、またブリッジとして、これからもずっと立ち続けて欲しいと思いますね。
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軍艦島に関する写真集で、私の一番のお気に入りである、大橋 弘氏の「1972 青春軍艦島」(新宿書房)は、著者が半年間、30号棟に住んで働いていた時に撮影されたものです。そこには、「廃墟」ではなく、いきいきとした島の住人たちの素顔がとらえられています。




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