2010年の3月4日、長崎市の許可の元、テレビ番組の収録で、軍艦島に入った時に撮影した画像を紹介したいと思います。
その時の画像を元に、私の本の中の数点の作品がつくられました。

これから紹介するのは、「無人となった空間」ですが、その一枚一枚の中に、とてもあたたかなコミュニティの中で生活していた、子どもたちや人々の姿を重ねて見ていただければ、幸いです。


今回は、住人の方や子どもたちが、生活をしていた通路や階段などのうち、軍艦島らしさを表していると思われるものを数点ご紹介します。


独身寮である67号棟の「X(エックス)階段」。昭和25年の建設ですが、非常にモダンなと言うか、斬新なデザインが目をひきます。
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このX階段は、クルーズ船からも、見ることができますので、機会があれば、ぜひ見てください。
ここは当時から、やはり絵になるのか、よく撮影スポットとなったようですね。
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中央岩盤から65号棟にかかる連絡橋。
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この橋は65号棟、グラウンド方面と桟橋のある南部方面とを結ぶ大事な通路でした。また、この辺りは、陽当たりがいいことから、お年寄りの方々やお母さんたちのよい、社交の場となったようです。
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この連絡橋から、潮降り街へと降りる、通称「五十段」。
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65号棟の屋上にあった幼稚園から、帰る子どもたちの図です。上方の子どもは、56号棟の通路から、日給住宅方面へ帰るのでしょう。下方の子は、五十段を降りて、潮降り街方面へ向かっています。この子はおそらく59、60、61号棟へ帰るのだと思いますが、もしかすると、先の方に苦手な奴が見えたので、避難?したのかもしれません。
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56号棟と57号棟にはさまれた、三角形の場所、通称「ビー玉場」です。その名のごとく、ビー玉や縄跳びなど、子どもたちの絶好の遊び場となっていたようです。
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こちらは、目立ちませんが、端島小中学校の正門です。春、4月、ピカピカの新1年生がどきどきしながら、通っていった場所ですね・・・
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ここは、西側岸壁へと上る階段。もちろん、ここも子どもたちが、どんどん上っていった場所でしょう。
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これは、ドルフィン桟橋につながっている、人道トンネルの住居側の入り口です。ちょうど30号棟の下(地下1階あたり)にあります。第3見学所からは、右側の壁が邪魔して、見ることができません。
この人道トンネル、中は薄暗く、靴音がカッツン、カッツンと響いたので、小さな子どもたちは、こわかったようです。子の手をひく母親は、途中で「もうすぐだけんね」などと声をかけたのだとか・・・
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中から、住居側出入り口を見た図です。
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そして、最後に、軍艦島で最も有名な場所のひとつである、「地獄段」。日給住宅16号棟の横から、端島神社まで続くこの階段は、上りきるとそこがアパートの4階部分であり、非常に息が切れることから、この名があります。
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そして、この地獄段付近にも、かつて多くの人が賑やかに生活をしていたのだということを、この階段や遺構たちは、語りかけているように思えるのです・・・
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