2010年の3月4日、長崎市の許可の元、テレビ番組の収録で、軍艦島に入った時に撮影した画像を紹介したいと思います。
その時の画像を元に、私の本の中の数点の作品がつくられました。
取材時の日記は、こちら

今回は、70号棟、端島小中学校を紹介します。

軍艦島ツアーにおいて、まず最初に見えてくるのが、この7階建ての建物、端島小中学校です。
4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階は講堂(時に体育館)として使用されました。
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昭和33年に建てられたという、この校舎。当時、このような場所に、この高層建築があったということは、驚き以外の何ものでもありません。台風や大波に晒され続けながらも、立ち続けているという事実に、感慨深いものがあります・・・
「端島小中学校略歴」

(明治26年)
三菱社立の尋常小学校として設立される。(島そのものが、三菱の所有であった)

(大正10年)
社立から「高浜村立」となり、現在地に移る。

(昭和30年)
西彼杵郡高島町と高浜村端島が合併した為、「高島町立」となる。

(昭和33年)現在の校舎が建てられる。

(昭和49年3月31日)
閉山により、全員離島。閉校となる。

ガイド時代、第1見学所で言っていた言葉、「色がまったく無くなってしまった、軍艦島で2ヵ所だけ、当時の色が残っている場所、それが学校入り口にあるモザイク画と防波堤のタイル画です」
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全て灰色となってしまった中で、この子ども達の作品だけが、色鮮やかに残っていることが、救いであるように思えます。
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1階の海側に向かった廊下です。壁が壊されているせいか、明るく見えます。造りの感じは、長崎市内にある同時期の小学校のものと、やはり似ていますね・・・
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階段。明るい色彩で塗られています。
とても60年以上も前に閉校になったとは思えません。教師時代の感覚からしても、ついこの間まで、その辺りを生徒たちがチョロチョロしていたような感じがしました。
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廊下の手洗い場から見える風景。65号棟と端島神社が見えています。
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父親たちが働く鉱業所や山通りなどもよく見えていました。
災害を知らせるサイレンが鳴ると、子どもたちは、どのような思いで、ここから見つめたのでしょうか・・・・
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端島小中学校は、なんといっても全教室絶景のオーシャン・ビューでした。そのかわり、風も強かったと思いますが・・・
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7階建ての校舎でありながら、もちろんエレベーターなどはありません。子ども達は学年が上がるにつれて、上へ上へとのぼっていったわけです。
ただし、給食だけは、エレベーターで運ばれたようですね。
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軍艦島は、建物が寄り添うように建っており、その間には空中廊下や通路が迷路のようにつながっていました。しかし、小中学校は避難時だけ使える、隣りの65棟との連絡橋があるだけで、あとは基本、下から歩いてのぼらなければなりませんでした。
これは、地獄段から65号棟を経由して登校する子どもたちですね。
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一方、こちらは潮降り街から病院横を抜けて登校する子どもたちのようです。(奥に地獄段が見えています)
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グラウンドをはさんで建つ2階建ては、教員たちの住宅、「ちどり荘」です。出勤は歩いて1分といいのですが、よく子ども達が護岸の上から顔を出すということもあったようです。しかし、この島の教師と生徒たちとのつながりは、本土では考えられないくらい深い信頼関係で結ばれていたといいます。
思春期の子どもたちは、相談事などあると、よく先生のうちへ相談に行ったこともあるということです。
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昭和59年の端島中学校の生徒手帳です。軍艦島のイラストがいいですね・・・
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校歌です。確か、小中共通の校歌だと聞いた気がします。
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この学校、近かったのはいいのですが、困ったこともあったそう・・。
65号棟の子どもは、さぼった時に、うかつに横の学校をのぞいたりすると、学校の先生と目が合って、「早く、来なさい!」と怒られる・・・ということもあったのだとか・・・
(画像は、65号棟から見た小中学校)
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校舎から見たグラウンド。この辺りは、昔は海であり、ボタで埋め立てて造成してあります。その為、地盤がもろく、閉山後、この付近の護岸が波により破壊された時には、グラウンドの土が流出し、校舎も倒壊寸前までいきました。
沖に見えているのは、中ノ島です。
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ボタのグラウンドとは言え、この島で育った子どもたちには、今もかけがえのない場所、グラウンドです。
それは毎日、仲間といっしょに遊んだ場所であり・・
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時には、島の大人たちと一緒に、運動会や夏祭りを行った思い出のある場所なのです。
運動会981

そしてこの場所は、閉山前、「サヨナラ ハシマ」の人文字を描いて、お別れした、永遠の母校であるわけです。
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