鉱業所があった場所を知るのに、これほど苦労の無いところはありません。現在でもニッチツという会社が操業していますので・・・
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工場のすぐ近くを走る松浦鉄道の踏切には、「炭業書踏切」の文字が・・・
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工場の前には、炭業所時代のコンクリート片が数多く残り、付近には石炭片も散乱しているのが見られます。
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工場手前の空き地。丁度通りかかった人が、昔はここに映画館があったのだと教えてくれました。「こうゆうかん」という名前だったそうです。「興友館」でしょうか?
ちなみに、炭鉱跡を取材しているのだと伝えると、どの方も、とても丁寧に対応してくれます。本当にありがたいことです。
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工場裏手に本坑があったそうです。
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これは在りし日の第一坑です。
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「日窒 江迎鉱業所(日窒鉱業株式会社) 略歴」

(昭和9年12月)
日本窒素肥料株式会社が鉱区を買収。その後、日窒鉱業に譲渡。

(昭和20年2月)
日満鉱業株式会社より、隣接鉱区である江里炭鉱を買収。

(昭和31年3月)
西ドイツより新鋭採炭機レッペホーベルを導入し、これが日本初のホーベル採炭となった。

(昭和37年7月)
集中豪雨によって地すべり災害が発生。鉱業所及び潜龍地区に甚大な被害が及んだ。しかし、早めの避難により死傷者はゼロであった。事故後、多くの人口が町外に流出したが、従業員の必死の努力と町民の協力により、短期間に復旧し、操業が再開された。

(昭和39年)
2月、一坑の採掘中止。3月、希望退職者募集と共に、工作科、炭鉱病院、供給所、幼稚園及び共同浴場が分離された。

(昭和41年3月)
全面閉山。従業員は一部の社内配転者を除く819名が解雇されたが、会社は退職者に対しての就職の斡旋、住宅の分譲を行った。

画像は、工場付近に残る、おそらく通気坑であろうと思われます。
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昇坑して一服する坑員さん。(昭和31年)
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坑内でのお弁当。早く食べないと、炭塵が積もって「ごま塩弁当」になる!?
(昭和33年)
江迎坑内風景048

鉱業所から江迎港まで延々16Kmも続いた、石炭を運ぶ空中ケーブルです。港に向かって左側側山沿いに続いたその景観は、江迎町の名物のひとつであったそうです。確かにすごい景色ですね。
大志佐ボタ山039

そして鉱業所跡の敷地には、今も多くの遺構が緑の中に埋もれています・・・・
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炭鉱住宅街があった場所。住宅のほとんどは失われています・・・
これは、昔からあったと思われる木製の電信柱。外灯も壊れてしまっています。
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となりの住友・潜竜炭鉱とともに多くの人で賑わった、猪調(いのつき)商店街の様子です。(昭和25年頃)
この昔ながらの街の雰囲気は、いまでも204号線沿いに残っています・・
江迎猪調商店街025

そしてこれは、付近の方がおしえてくれた、年功者の方が入った、元炭鉱住宅だそうです。デザインがなんともいい味出していますね。
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そして加えて有難いのは、案内してくれた方に私が、「以前賑わった炭鉱町を背景にして、子どもたちのいきいきした様子を絵で(復刻)したいのだ」と伝えると、協力してくださると言ってくれたことです。
本当に多くの、炭鉱町をなつかしく覚えている方が多くいる・・ということを実感しました。

*記事をご覧の皆様へ

皆様の心の通い合ったメッセージを拝読するたびに、「この記事を書いてよかった」と胸があつくなります。
やはり、故郷というものは、誰にとっても忘れることのできない、永遠のものであるということを教えてもらいました。
拙い記事ですが、これからも少しでも、皆様の旧交をあたためる場になれば幸いと願っております。
もし当時のお写真とか、記録など、何でもどういったものでも構いませんので、ございましたら、管理者まで、ご送付いただければ、記事の中に付け加えさせて頂ければと思っております。
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ラインでしたら、管理者 江島のラインまで、送って頂ければと思います。
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「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧


(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月