1945年8月9日、原子爆弾により倒壊した浦上天主堂。左右2対あった鐘楼も爆風により吹き飛ばされました。
鐘楼にあったフランス製の鐘は、2つとも壊れてしまったと思われたのですが、片方の鐘が、瓦礫の中から奇跡的に無傷で掘り起こされました。 その鐘は、浦上の信徒たちを中心に掘り出され、爆心地一帯を見下ろす本尾町の仮設鐘楼に吊り下げられました。そして、原爆が投下された年の12月24日、クリスマス・イブの夜にアンゼラスの鐘は 再び浦上の地に鳴らされました。 言うまでもないことですが、その鐘の音は、瓦礫の原子野に生活する全ての人にとって大きな「慰めと励まし」を与えました。
その、原爆をくぐり抜けたアンゼラスの鐘は、今日も、浦上天主堂の右側の鐘楼で鳴り続けています。 http://www.youtube.com/watch?v=MejDLm3YuRM (youtube検索より) 被災地へ向け、この鐘の音をおくりたいと思います。
鐘楼にあったフランス製の鐘は、2つとも壊れてしまったと思われたのですが、片方の鐘が、瓦礫の中から奇跡的に無傷で掘り起こされました。 その鐘は、浦上の信徒たちを中心に掘り出され、爆心地一帯を見下ろす本尾町の仮設鐘楼に吊り下げられました。そして、原爆が投下された年の12月24日、クリスマス・イブの夜にアンゼラスの鐘は 再び浦上の地に鳴らされました。 言うまでもないことですが、その鐘の音は、瓦礫の原子野に生活する全ての人にとって大きな「慰めと励まし」を与えました。
その、原爆をくぐり抜けたアンゼラスの鐘は、今日も、浦上天主堂の右側の鐘楼で鳴り続けています。 http://www.youtube.com/watch?v=MejDLm3YuRM (youtube検索より) 被災地へ向け、この鐘の音をおくりたいと思います。
私は他県在住ですが、長崎生まれの長崎育ちなので、原発・・・放射能・・・原爆という連想をしてしまいます。そして被災地の惨状と原爆直後の惨状を重ねてしまいます。
アンゼラスの鐘の音が被災地に届きますように・・・。
そして・・・まさかまさか長崎弁かるたのイラストを描いた方が私のブログを訪問してくださるなんてうれしいやら恥ずかしいやらです。ご訪問ありがとうございました(*^_^*)