炭鉱というと、どうしても強大な地圧とガスの噴出する地底で働いた、屈強の男たちが強調されがちですが、昭和8年に女子の労働が禁止されるまでは、女性も当たり前のように坑内で働いていました。
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男が石炭を掘り、女は掘った石炭を運ぶ・・というケースがほとんどでした。
今でこそ、運搬は男の仕事になっていますが、当時はむしろ女性の仕事であったわけですね。
(下図の女性が左手に持っているのは、坑内を照らす灯、カンテラです)
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下図のように、石炭を船に積み込む桟橋までトロッコを押してゆくのも、やはり女性が多かったようです。
(画像は長崎市・伊王島町)
伊王島S19積み込み093

また石炭、炭車だけでなく、坑内労働が禁止されてからは、坑木や鉄柱、コンクリート袋などの運搬にも多くの女性が従事しました。
大橋 弘さんの「1972 青春軍艦島」によると、体重40㎏ぐらいの小柄な女性が、70~80㎏の坑木をひょいと担いでいたそうです。今では考えられないことですね。
(画像も同書より引用させていただきました。お勧めの本です)
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もちろん子育てや家事は女性が中心となって行ったことは、言うまでもないことですが、その他にも、路地や共同スペースを徹底的に掃除・管理し、血の通ったコミュニティである「炭鉱町」の文化そのものを創ってきた‥・・という点では、女性たちこそが、屈強の女たち・・・と形容しても、差し支えないのかもしれませんね。
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地底から上がってきた石炭を、商品とする「選炭(せんたん)」も、重要な、女性の仕事でした。
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また、子どもたちに、早くから仕事を手伝わせることも、母親の仕事であり、子どもにとっては、それが大切な教育の一環でした。これも現代社会が失ってしまっているもののひとつですね。
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島の炭鉱や、水道設備の整っていない山間部では、下図のように水桶を担いだ女性たちが、坂の小径を上り下りしていたわけです。こういった場所、時代には「水を大切に」なんていう教育は必要なかったでしょう・・・
(伊王島)
伊王島水汲み094

炭鉱に限らないことですが、労働争議などが起これば、たちまち団結して背中を押してくれたのも、やはり女性たちでした。
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女性と馬・・・・かつて坑内で、ともに汗を流していた存在が、こうして坑外で支えてくれたからこそ、炭鉱マンたちは、毎日地底へ向かうことができたのでしょう。
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しかし、おしなべて、からっとして気が良かったという炭鉱町の女性たちの、笑顔こそが、何よりの癒しであり、「炭鉱町の華」・・であったことは、もちろん言うまでもないことです。
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