かつて佐世保市内には、無数の炭鉱があり、最盛期と言われた昭和32年には、38鉱を数えたといいます。
その中の1鉱、紋珠岳(もんじゅだけ)炭鉱は、現・市街地の中央付近にありましたが、何かしら跡は残っているのだろうか?・・と思いたずねてみました。
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ちなみに、昭和57年に空撮された付近の写真には、まだはっきりと紋珠岳炭鉱のボタ山が写っています。
紋珠岳炭鉱は、昭和25年開坑。閉山の年は、はっきりしていませんが、昭和35年に佐世保市内で操業していた26鉱のひとつに名を連ねています。同37年には19鉱、40年に6鉱と、この頃激減しているので、おそらく30年代の後半に閉山していると思われます。
ちなみに41年まで残ったのは、中里炭鉱、山住炭鉱、協和炭鉱、但馬岳炭鉱の4鉱のみ。42年には山住とこの年に発足した柚木の2鉱となりました。翌43年に山住閉山、47年に柚木閉山となり、佐世保市内から炭鉱がすべて姿を消しました。
(後に40年、6月8日閉山と判明)
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ボタ山の下は、西海学園のグラウンドです。



紋珠岳を目印に・・・と思いましたが、その肝心の紋珠岳そのものが、はっきりしません。あたりは一面宅地が造成されて、きれいな家がたくさん建っています。
↓ はじめは、これが航空写真に残っていたボタ山か!と思ったのですが・・
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よくよく地図と方角を確認してみたところ、このコンクリートで補強された「小山」のようなものが、紋珠岳だと後でわかりました・・・・
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北松や西彼の島など、炭鉱のあった場所では必ず石炭のかけらが見つかるものですが、今回は残念ながら、石炭どころか、何の痕跡もみつけることはできず、この地を後にしました・・・・




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「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧


(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月