「活気」という言葉の解釈は、人それぞれ違うかもしれません。ある辞書では「その場の人々の心に張りがあり、いきいきとした雰囲気が誰の目にもうかがわれる・・・」とあります。

個人的に解釈するのは、活気とは、「気」のベクトルがいろんな方向に、多く飛び交うこと」ではないかと考えます・・・


画像は昭和34年、佐々町の炭鉱町でのスナップで、「薬売りの犬猫屋さん」とあります。
この薬売りさんは、奇抜な格好と巧みな口上で人を集め、笑いを巻き起こしながらいつの間にか薬を売った。特に炭鉱町は上得意で各地の炭鉱を定期的に巡回していた・・・と説明が付記されています。

人を笑わせ、気分を高めてくれた上に、サラリ・・・と商売をする。このサラリ・・・が大事と思います。今では、こんな粋で、高品質?な商売ができる人は、まったく見ることができなくなってしまったようです。
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今、どんな大都市でも、「活気がある」という表現はされません。人口は多くても、飛び交う「気」のベクトルは限りなく少なく、それも同じ方へとばかり流れていって、ベクトル同士が向き合うことが無いからではないでしょうか・・・
ここ、長崎のような地方であっても、通りを歩く人は皆、無機質な顔をして、或いは端末とイヤホーンで周りと隔絶しながら、ただ流れていっているような感じがします。(画像は筑豊)
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なにかあると、すぐに「なんだ、なんだ!」とばかりに集まってくる人々・・・炭鉱町は、そんな血の通ったコミュニティだったのですが、それに加えて、彩りを添えたのは、こういった「スペシャル・エクストラマン」の存在だったと言えるでしょう・・・
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考えてみれば、確かに私たちの幼い頃、街には、そういうエクストラマンはいました。行商さん、傘の修理屋さん、ポン菓子屋さん、ちんどん屋さん・・・まっすぐに働いて、それに見合うだけのお金を受け取る人達を見て、育ってきました。
そして、親は、こういった商いをする人たちに、とても敬意をはらっていた・・・という記憶があります。(画像は昭和26年・長崎市)
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飾らない目線。ガラリと戸を開けると、『もうかりまっか』『ぼちぼちでんな』・・・じゃないですが、すぐそこに気のベクトルがあったように思います。(画像は筑豊)
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傷みのひどい古い家。しかし、古い家は、ごらんのように「外に」開いていました。門扉や壁が無く、誰でもが、雨や日差しをしのげる深いひさし。炊事場は、通りに面し、炊事をしながら外をのぞけるような造りになっていました。家は通り(外)とつながっていたわけです。
今の家は、マンションであれば、壁に閉ざされ、全戸同じ方向を向き、一戸建ては、限りなく窓を小さくし、「内に内に」と向かっているように見えます・・・  (画像は佐々町・水の浦)
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いろんな人がいて、いろんな仕事があって・・・「お金をかせぐ」ということは、こういうことなんだ・・・と子どもながらに感じていたように思います。画像でわかるように、「子ども」にうける・・・子どもに向き合う仕事、大人も多かったように思います。
昔の炭鉱町、町並みが今後最小限、残っていったとしても、おそらく二度と再生されないだろう・・・と思うのが、こういったエクストラマンたち、働く人たちの姿だろう・・・と考えると、妙に切ないものが込み上げます。(昭和27年 長崎市)s27新地疳の虫薬売り150



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