北松浦郡佐々町江里、松瀬地区にあった江里炭鉱。
鉱業所の遺構は、はたして見つけられるか?・・・等と思っていたのですが・・・・・!?
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で~ん!と残ってました!わかりますか?上の写真のホッパーの下半分が、下の画像のアパートに改造されて残っています^^!
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柱の数も合ってるし、すぐ近くには神田(こうだ)駅の石炭積みこみ用のプラットフォームも残っています。
そのプラットフォーム上には、石炭片まで落ちています。まるで、ついこの前まで、炭鉱があった・・・みたいではありませんか!?
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一般に「日窒・江里鉱」という呼称が有名ですが、実は江里鉱ほど事業者の替わった炭鉱もありませんでした。
明治期から何度も所有者がかわり、昭和に入ってからも、同2年江里炭鉱、同5年から鷲尾炭鉱、同9年から江里炭鉱(株)、同11年から日東炭鉱(株)江里炭鉱、同13年から藤井鉱業(株)江里鉱業所、同14年から日満鉱業(株)江里鉱業所、そして同20年からやっと日窒鉱業(株)江里炭鉱となりました。

大手である日窒の時代になって、江里鉱は急速に発展しました。
最盛期には、職員84名、鉱員904名となり、付近には、病院や娯楽施設「労友館」、共同浴場そして下画像の「日窒・江里幼稚園」などもつくられました。この江里幼稚園は、昭和28年に開設され、佐々町における幼稚園教育の先駆けとなりました。毎年100人程の幼児が入園していたそうです。
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坑口は名前の通り、江里川の上流にあったようですが、さすがに施設の遺構らしきものは、見つかりませんでした。
その場所には、西九州合成という会社が建っています。
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しかし、上の場所と目と鼻の先の道路脇(松瀬免・鷲尾地区)に、雑草に覆われたコンクリートの遺構らしきものが残っていました。建物の古さからすると昭和30年前後?という感じですが、これが鉱業所の遺構かどうかは、確かめられませんでした。しかし、周りはけっこうな山の中なので、こんな場所に他の企業施設があったとは、考えにくいのですが、なにせ江里鉱は、前述のように、何度も事業者が替わっているので、これがたとえ鉱業所のものであるとしても、どの時代のものか、特定できる人は、まずいないだろう・・・と思われます。
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鉱業所跡から少し下った場所、現在の北松森林組合がある場所が、かつての選炭場だったと聞きました。ここにも、当時の面影を残すものは無かったのですが、よく探すと、いくつか、それらしきものが残っていました。

まずは↓側溝の鉄製の安全柵ですが、よく見ると、レールで作ってあります。おそらく選炭場からホッパーまでは、トロッコで運搬していたようですので、これはその時のレールを再利用したものだと思います。
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また森林組合の敷地内の石垣も、よく見ると、あきらかにコンクリートの建物を壊した、コンクリート片の再利用であることがわかります。これは、選炭施設のものでしょう。
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それから、江里川沿いに下ると、結構、炭鉱住宅が所々に残っています。この住宅などは、その造りからして、明らかに炭鉱住宅時代のものですね。もちろん、人が住まわれています。
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川沿いのこの辺りも、当時の雰囲気をよく残していると思われる場所です。
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204号線に近い住宅です。ここは比較的時代の若いものだと思いますが、デザインがやはり炭鉱町特有のものであるように思います。
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何より、この日本ばなれ?した消火栓は、鉱業所の規格でしょう・・・
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ホッパーとプラットフォームと住宅と、もしかしたら鉱業所の建物・・・・江里炭鉱は、本当に、この間まで、あったかのような気がする場所でした。
ただし、残念ながら、あまり人が歩いておらず、当時の話などが聞けていません。またいつか、ここをじっくりと歩いてみたいと思います。


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(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月