先日、用があって長崎大学キャンパスを歩く機会がありました。世の中が不景気なので、資格・技能や就職口のことで、頭がいっぱいなのか、見かけた学生さん達も、大人しそうというか、まじめそう?に見えました。(ある意味、学生の正しい姿と言えますが・・・)

画像は現在の学生会館で、売店や食堂なんかが入っている建物です。
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しかし、実はこの学生会館、瀟洒な建物に建てかわる前には、「長大紛争」と呼ばれる学生運動の嵐が吹き荒れた、その中心地となった場所でした。
もともと教職員と学生の憩いの場所として造られた、学生会館でしたが、皮肉にも、管理運営権、名称などをめぐって、学生と大学当局がその後10年間にわたって対立する、「火種」となってしまいました。昭和40年初めのことです。
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丁度、紛争の嵐がこのキャンパスに吹き荒れていた頃、私と友達は、ハナを垂らしながら、その傍らを通って純心幼稚園に通っていたのでした・・・



当時からボーッとしていた私なので、「なんかいつもキャンパスのあちこちにでっかい看板が置いてあって、大学生のにいちゃん達が、文字とかをペンキでかきよるね~♪」・・ぐらいにしか思っていませんでした。

で、覚えているのは、幼稚園からの帰りがけ、私と友達は、学生のにいちゃん達のスローガン書きの様子がめずらしくて、よく近くでのぞき込んだりしていました。学生さんからしたら、大変めんどくさいガキん子たちだっただろうと思うのですが・・・・
ある時、一人の学生のにいちゃんが、「絵ば、うまく描けん」みたいなことを言った時に、友達が「えじまくんは、ニャロメの、じょうずかとばい!」と、その学生さんに言ったのです。そうすると、その学生さんは、私にペンキのついた筆を渡して、ニャロメを描かせてくれたのです!
思えば、初の公の?絵の仕事でしたが、描いたニャロメをみて、学生さんは、「じょうずか、じょうずか!」と喜んでくれました。

その思い出だけは、今でもはっきりと覚えています・・・

この時計塔は昔のまんまです。
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紛争の方ですが、警官隊が出動して、武装した学生らと乱闘になったり、学生会館を占拠して、まわりにバリケードをつくったり・・・と昭和44年くらいまでは、くすぶり続けていきました。

そしてようやく、学生会館が正式に開館したのは、建設から実に11年後の、昭和51年のことでした。
しかし、その時代は、我ら幼稚園児も、ニャロメを描かせてもらうなど、実に大らかな空気が流れていたように思います。
「紛争の時代」と言うよりも、「学生にエネルギーが満ちあふれており、まっすぐに生きていた時代」と言った方が、ふさわしいようですね。

当時の職員も、回想の中で、
『・・・・本当に暴力的な学生もいたが、ほとんどの学生はルールを守って暴れていた。今振り返れば、けっこういい思い出です・・・』
と述べています。

キャンパスの建物も随分と新しくなっています。当時の面影を残すのは、この美術・音楽棟とかぐらいでしょうか・・・
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あと、私と兄がやはり幼い頃、うちの母ちゃんが、「安かけん」という理由で、大学内にあった散髪やに行かされてました。
でも、いつも混んでるので、店の前に置いてある廃車で、兄貴と遊んでいる内にどんどん順番を越されて、結局散髪はできずに帰って、怒られるというパターンでした・・・
こんな感じの建物だったと思いますが、はっきりとは、わかりません。
この建物も間もなく取り壊されるようです。
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長崎大学の校章が刻まれているマンホールの蓋です。オランダ船に「学」という字がデザインされています。
何とも、長崎らしいデザインと言うか・・・・
そう言えば今、長崎市にある「長崎総合科学大学」という私立大は、もともと「長崎造船大学」という名前でした。もともと香焼にあった川南造船所が造ったこの教育施設、他にも多くの造船所があり、造船マンや炭鉱マンが街に溢れていた時代のなごりとも言えるでしょう・・・・
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