軍艦島ツアー・ガイドをしていたときに、ゲストの方から「炭鉱の遺構で、オススメの場所は?」とたずねられた時に、真っ先に紹介していたのが、↓この池島です。ある時、船の中で会った軍艦島研究で、ちと有名な?オープロジェクトのメンバーも、ここがお勧めだと、言っておりました。
画像は、昭和57年頃、まだバリバリに操業中の池島の様子です。
長崎県の最後の炭鉱として、平成13年まで操業を続けた島ですが、お勧めの第一の理由は、現在も、下の画像に見られる施設が、ほとんど残っている~つまり、行けば見られる・・ということです。
ikesima fukan

私の場合は、連載の取材で、この島を訪れたことが、「炭鉱」「炭鉱町」そして「炭鉱町に住んだ人々」との大きな出合い・・となりました。
もし、ここが閉山後、無人の島となっていたとしたら、まずここへ取材に行くことも無かったし、出合いというものもなかったと思います。
島に残る鉱員アパートは、ほとんどが無人となっていますが、実はまだ人が住まれているアパートもあるのです・・・・・
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もともと、「廃墟」や「遺構」には全く興味のない私でした。画像に見られるように、少数ですが、この島で生活する人々の姿を追った・・ことから、一気に「炭鉱の島」「炭鉱町」というものに惹かれていきました。
特に、島を去る間際に見かけた若いお母さんとベビーカーの赤ちゃんの姿は、とてつもなく大きく、私の心にささり?ました。
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この島には、もともと漁業などで、生活されている人たちもおられますし、この時はまだ炭鉱会社(三井松島リソーシス)が、インドネシアからの技術留学の技師たちを教育するプログラムを継続中でしたので、わずかながら炭鉱関係者の方達も島におられたわけです。
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そのインドネシアからの技師さんの子ども達も通っていた、池島小中学校です。この時は、運動会の練習をしているようでした。この校舎の大きさから、かつての島の賑わいがうかがい知れます。
また、たまたま池島小学校の校長先生が、佐世保の職場で一緒だった方だった・・・という偶然もかさなりました。
この小さな島の、小さな小学校を応援していきたいと思っています。
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アパート群は残っているのに、人々や子ども達の姿が全くない・・・・歩いていると、とても不思議な感情になってきます。
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こういう、何気なく残された、子どもの落書きやシール、といった生活の跡が、妙にいとおしく見えてしまいます・・・・
もちろん無人です。
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竪坑やぐらです。このやぐらをバックに、登校する子ども達を描こうか・・・と思って撮っておいた一枚です。
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まだ、かろうじて人が住んでいるアパートです。
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傘のわずかな・・・色に、ほっとします。
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ここにいると、本当に「ヒトの生活」というものが、いとおしく思えます。
2階のの窓から、ひょっこり子どもが顔を出しそうな・・気がしてきます。
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軍艦島とは、違う「炭鉱の島」の素顔が、ここにはあります。
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ひとりで島を歩くのも、いいと思いますし、「長崎さるく」では、池島・模擬炭鉱体験というコースもあるようなので、それに参加して炭鉱について学ぶのもいいかと思います。

私もぜひ近々、参加してみようと思っています・・・・

http://www.nagasaki-tabi.jp/experience/760.html



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