このトピックで最後に持ってくるのならば、これだと思っていたのが、この「夫婦」というテーマです。所詮、私のブログは一般論の域を出ません。しかし、こうして綴ることには、何らかの意味があると信じてやみません。

軍艦島ツアー・ガイドをしているときに、肝に命じていたことが、ひとつだけありました。
「ツアーのお客さんを楽しませるために、あえてジョークは沢山言う。しかし、根底にある凛としたものは、絶対に外さない」・・・ということです。
お世話になったNPO軍艦島を世界遺産にする会の理事長さんも、ドルフィンに降り立った時には、人知れず端島神社の方に合掌されているのを私は知っていました。
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まず、明治期から昭和初期にかけての時代、「小ヤマ」と呼ばれた中小規模の炭鉱では、このように夫婦がペアで石炭を掘りだしては、運ぶという状況が少なくありませんでした。ツルハシで石炭を掘る夫が先山(さきやま)、スラやしょい篭で石炭を運び出す妻のことを後山(あとやま)と呼びました。
(画像は、長崎県佐世保市世知原町・炭鉱資料館より)
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長崎新聞社の「ニュースで見る長崎50年史」の「炭鉱事故」の項に、次のような言葉が見えます。

・・・九州のヤマをわたり歩いたある元鉱員は「坑内はいつも、地の底で働いている緊張と不安があった」と打ち明ける。その妻は「夜けんかしても、翌朝は必ず笑顔で送りだした」という。・・・・・

この抜粋だけで、炭鉱に関わった夫婦の像というものが、理解していただけると思います。

下画像は、「写真万葉録 筑豊⑦ 六月一日」よりの一枚です。この写真集全巻の中で、もっとも私が胸を打たれたものです。
1965年(昭和40年)6月1日、福岡筑豊・三井山野鉱でガス爆発事故が起き、237人の鉱員が帰らぬ人となりました。写真は、現場に駆けつけた被害者の奥さんをとらえたものです。この一枚を見れば、「炭鉱事故」というものが、そこに身を寄せる夫婦にとって、いかなる「脅威・恐怖」であったかがおわかりだと思います・・・。
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写真とは、残酷なものだと思います。
この方は、その後、どこへ行って、どうされたのでしょう・・・・丁度、うちのお袋と同じくらいの年代ですが、気になります。
勝手に写真を載せてごめんなさい。







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