様々な文化人と宮本氏との対談集となっている同書の中で、秀逸な章だと思いました。
同氏が日本中を歩いて感じた、地域の中の「差別」について述べたものなのですが、この(人の心の中にある)差別の中にこそ「戦争」の論理がある・・・と、読み終わってから自分なりに結論にいたりました。

キーワードは「土地」だと思います。特に日本の歴史において徳川時代におし進められ、日本全土にあった「ある特定の土地にしがみつくこと=生きる」という閉鎖的な環境がこれまでの言われ無き差別を生み出し、その精神性は戦争を肯定させる要素になったと思うのです。
同氏はこの差別性を我が長崎県では(その時代において)離島を例に説明しています。もともと島に住んでいた人々(と言っても太古には移住者であることにかわりなく、ここでは先に土地を占有していた人々という意味)は、移住者を非常に警戒し、執拗に区別しました。まぁ先住者にとって、後から移住して来る者たちというのは、自分達が生活の糧としていた様々な資源や土地を奪う(或いは減らす)かもしれないという脅威であったことはうなずけます。先住民は、移住者にやせた土地のみを与え、漁業権さえ厳しく制限しました。結果的に移住者は、生活していくのに大変な労苦を強いられました。また移住者の中にたまたま成功した者が出ても、地主は決して、そういう移住者に土地を売るということはしなかったそうです。そういうことをすれば、その後自分達が移住者にしていたことをやり返される恐れがあったからです。また先住民は、その地区を統制していくために、先住民の中でも細かく縦割りのランク付けをしたといいます。この中には、例えば「先代が移民の家系だった」とか「親類すじに罪人がいた」とかいったことが判定材料となりました。しかし、多くは何の判断材料もないわけで、この時にこそ「ライ病すじ」だとか「狐つき」「へびつき」「犬神」と言ったまったく何の根拠もない差別や蔑称が誕生?したわけです。そしていったんその根拠なきレッテルを貼られると、その差別の呪縛から何代も逃れることができなかったというわけです。こう書いてくると、小中学校の閉鎖的なクラスにおける「いじめ」の構造レベルとなんら変わらないような気もするのですが・・・。
要は「土地をとられる=利益を奪われる」という脅威が攻撃・排除というベクトルへと向かわせるということです。このことは、例えば、現在の我が県でも、土地の利用について対立が深刻化していますし、世界の至る場所で(日本も含め)国境紛争は続いています。もっと個人的なレベルまで下げて説明するならば、単なる運動会や花見の場所とりや、乗り物等の空席の確保などにおいても、常に奪い合い(譲り合いではなく)が起こっているぐらいのことは誰もがうなずけるでしょう。
「自分のテリトリーに入ってくる者を激しく攻撃する!」というのならば、もうそれは野生動物の生態そのものですね。

とすれば、戦争を放棄するキーワードは「寛容」あるいは「流動性」ということにでもなるのでしょうか・・・。
宮本氏は、差別ということに観点を置いた時、戦前戦後ではなく、昭和30年頃の集合住宅などが各地に出来始めた頃を転換期だと説明しています。これはまさに炭鉱住宅などが存在していた時期に重なります。つまりそういった集合住宅が集まって出来た街には、当然全国より人々が集まり、流動していました。地域にあった差別性という呪縛も、そこでは及ばなかったわけです。また同じつくりの長屋が建ち並んでいたという条件も、江戸時代より受け継がれていた長屋文化を発展させる素地となりましたし、何より苦しい時代を助け合って生きていこうという精神性を育てるまたとない環境であったことがうかがえます。
かつて「筋違い」な婚姻は許されなかったという地域の慣習(呪縛)を打ち破っていったのも、そういう街で育った若い男女であったそうです。そういうことから、もうひとつキーワードを足すとすると、やはり「愛」ということになるのでしょうか。

自分の畑に水をひくのなら、隣の畑にも同じか、それ以上の水が流れ込むようにする・・・・
混んでいる乗り物で席に座ることができたなら、ちょっと辺りを見まわし、よりその席を必要とする誰かに譲ってあげる・・・・
結局は、そういうことなのかなぁ・・・と思ってしまいます。

日本人を考える317