幼い頃、中町教会前の通りを歩いていると何だか、遠い異国にいるような不思議な感覚がしていました。(今はまったくそんな感じはしませんが)

今ではビルに囲まれ、よく見えない上に、大浦天主堂や浦上天主堂に比べると、圧倒的に知名度の低い、この中町教会。
二十六聖人の殉教を記念して建てられたとして認識されていますが、実は生月出身の日本人司祭、聖トマス西と長崎のマグダレナなど16人の聖人(西坂の処刑場にて)に捧げられた教会なのです。
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しかし、1945年。原子爆弾投下後の長崎では、その存在が本当に大きなものとなりました。その理由は、下の画像を見れば一目瞭然だと思います。
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画像のように、中町教会は原爆による爆風と火災に遭いながら、尖塔と外壁を残して原子野に立っていました。現在の建物は、この部分を利用した建物なので、現存する被爆建築としても貴重なものです。また、それ以上に、生き残った人々にとって、この教会の姿はどんなにか慰めとなったことでしょう・・・。
ちなみに向こうに見える新興善小学校が臨時救護所本部となったも、この画を見ればうなづけます。他にまったく建物らしきものが見えません・・・・


中町教会敷地内にある「お告げの聖母保育園」の子ども達です。やっぱり、どんな場所でもどんな時代でも子どもの姿は救いです・・・。
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他に敷地内には「聖パウロ女子修道会」もあります。
被爆後の長崎では、ポーランドのコルベ神父が創設した「聖母の騎士修道会」の修道士達が被爆孤児などを集めて養育するなど、献身的な活動を行っています。その慈悲の精神がほんの少しでも長崎という風土に残っているのならば、これほどうれしいことはないのですが・・・。
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*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は戦争の悲惨さと平和の尊さを若者や子どもたちに伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月