「鉱山事故」・・・・最も記事にしたくない内容です。
しかし、本日南米チリ鉱山落盤事故から69日ぶりに1人目の作業員が救出されました。そして今、この救出劇は「世界最大の救出劇」として報道・中継されています。裏を返せば、鉱山での事故救出は、現代の最新鋭の技術を持ってしても、困難を極めるということを物語っているようにも思えます・・・。

「炭鉱事故」・・・この言葉ほど炭鉱マンやその家族達にとって嫌な響きはなかったことでしょう。
鉱業所近くには「ヤマの神様」がまつってあり、坑道入り口にも神棚があり、無事を祈りつつ鉱員達が入坑していったことは言うまでもありません。坑内での坑員達の挨拶の言葉は、すべて「ご安全に」だったそうです。

期せずして鳴り響く、事故を知らせるサイレンの音を聴くや否や、坑員の奥さん達や子ども達は、その顔から血の気が失せたそうです。

現在、進行中である、チリ・サンホセ鉱山での救出作業。NASAや日本のJAXAまで参加して世界中のありとあらゆる技術力を結集して行われています。まだ全員救出されてもいないのに、すでに映画化の話が決まり、作業員と弁護士がその後の営利に関する話にまで及んでいるという情報には、いささか水をさされるような気もしますが、やはりこの生還劇に対する感動は大きいものがあり、最後の1人が救出されるまでは、目が離せません。

一方で、この報道をより特別な思いで観ているだろうな・・・と思われる人達がいます。それは、かつて炭鉱事故で家族を亡くされた人達です。
今回のチリの事故では、陸上の鉱山であった為、今日の救出が実現しています。
しかし、長崎県などに多くあった「海底炭鉱」では、下図を見てもわかるように、まず事故が坑内で発生しても、救助隊が向かえる可能性はほぼ100%なかったわけです。
端島坑道127

様々な事故の多かった炭鉱ですが、その中でも圧倒的な数を占めたのが、今回と同じ「落盤」です。もともと炭層のまわりというのは、ぜい弱な岩盤が多いのですが、特に「強粘結炭」と呼ばれる上質な石炭を産出した長崎県の炭層のまわりは弱くもろい岩盤が多かったのです。

炭鉱の歴史とともに事故の記録も絶えることがなく、明治時代には長崎・高島炭鉱で一度の事故で300人の死者という記録も残っています。

炭鉱マンとその妻。当然夫婦ですから、生活していると夫婦げんかというものもあったでしょう・・。しかしある炭鉱マンの奥さんは「夜、(夫と)けんかしても、翌朝必ず笑顔で送り出した」と話しています。もっともな話です。

今回、あえて長崎県で起こった、ひとつの炭鉱事故、一枚の画像を紹介したいと思います。これは落盤ではなく、出水事故の記録で長崎新聞社刊「ニュースで見る戦後五十年」よりの抜粋です。

『・・・「水だっ、水が出た」ー昭和33年5月7日夜、松浦市調川(つきのかわ)町、中興鉱業江口鉱業所の坑口から1820mの個所で突如出水、坑内にいた二番方38人のうち奥の29人が水中に取り残された。坑内に排水設備はなく、130馬力のポンプ6台を投入。懸命の排水作業が行われたが、水量が多く救出は難航した。同27日には排水作業中に落盤が発生、二人が犠牲になった。遅々として進まない救出作業に家族らの会社への怒りは頂点に達し、連日のように号泣と罵倒のなかで団交が繰り返された。
 最初の遺体発見は7月17日、事故発生から実に72日目だった。遺体は折り重なるように倒れ、炭泥に埋まってろう化、事故の凄惨さを物語っていた。
「息苦しい、元気でさようなら」「二人仲良く、よろしく頼む」。ツルハシでヘルメットに彫り付けた数人の遺言が見つかり、多くの人の涙を誘った。・・・』

↓江口坑出水事故の犠牲者が、苦しい息の中でシャベルにつづった遺言。「タノム・・・仲良く・・・」の文字が見えます。
この人はどのような思いで、このメッセージを残したのでしょう・・・・
江口坑出水S33115

・・・・この事故ひとつとっても、炭鉱・鉱山事故がいかに悲惨であったかがわかると同時に今回のチリでの救出がまさに「奇跡の救出」であったがわかると思います。

この記事を書いている時点で救出されたのはまだ10人。レスキュー隊員も含め、最後の1人が地上に上がって来るまで、見守りたいし、祈りたいと思います・・・。

BBC LIVE
http://www.bbc.co.uk/news/world-latin-america-11489439