「 日本赤十字社 長崎原爆病院 」
原爆症に関する治療と研究を使命とし、昭和33年に長崎市長を開設者として長崎市片淵町に作られた医療機関です。
どういういきさつかは不明ですが、昭和39年に総合病院としての認可が下り、44年に市から日本赤十字社へ移管されました。
そして昭和57に現在の場所、茂里町に移設され病床数も増えました。
家族が入院し、あらためてこの病棟から眺める長崎市内の景色。
市のシンボルとも言える稲佐山と岩屋山、金比羅山からほぼ等距離にあり、近くの丘に大学病院を見上げる場所。・・・・ある意味、ここは市の「芯」とも言える場所です。
昔ながらの長崎に住む人から言わせると、ここは昔は浦上川の中、或いは湿地帯であった場所であり、本当の長崎ではない・・・ということかもしれません。
しかし、原爆投下から65年。この「原爆」を名に持つ病院は、被爆者の方々には勿論、ご遺族関係者を始め、全ての長崎市民にとって大きな存在である場所、意味のある場所であることだけは、まちがいないのです。
そして、この場所(病棟)から見る景色というのは、「芯」でありながら、「辛さ」を持って見なければならないものなのです。
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プロフィール:江島 達也
長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236
以下は、すべてアトリエ隼(対州屋)のサービスです。
長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
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