「 日本赤十字社 長崎原爆病院 」

原爆症に関する治療と研究を使命とし、昭和33年に長崎市長を開設者として長崎市片淵町に作られた医療機関です。
どういういきさつかは不明ですが、昭和39年に総合病院としての認可が下り、44年に市から日本赤十字社へ移管されました。
そして昭和57に現在の場所、茂里町に移設され病床数も増えました。

家族が入院し、あらためてこの病棟から眺める長崎市内の景色。
市のシンボルとも言える稲佐山と岩屋山、金比羅山からほぼ等距離にあり、近くの丘に大学病院を見上げる場所。・・・・ある意味、ここは市の「芯」とも言える場所です。

昔ながらの長崎に住む人から言わせると、ここは昔は浦上川の中、或いは湿地帯であった場所であり、本当の長崎ではない・・・ということかもしれません。
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しかし、原爆投下から65年。この「原爆」を名に持つ病院は、被爆者の方々には勿論、ご遺族関係者を始め、全ての長崎市民にとって大きな存在である場所、意味のある場所であることだけは、まちがいないのです。

そして、この場所(病棟)から見る景色というのは、「芯」でありながら、「辛さ」を持って見なければならないものなのです。