家族の病気と子どもの状態を考え、軍艦島ツアー船をいったん降りることにしました。

だから・・・というわけではないですが、軍艦島(や炭鉱)について、この5か月間、感じた事などを、ツアーの興ざめにならない程度に記事にしていこうかと思っています。このことが、更なる充電につながればよいのですが・・・。

『 軍艦島のくぼみと防波棟31号棟 』

ご存じ?かと思いますが、軍艦島(端島)は平面図で見ると、けっこう「ぐにゃぐにゃ」な形をしています。普通、大都市の港湾部にある埋め立て地という場所は、ほぼ長方形やなだらかな流線型をしており、波の抵抗を考えると、できるだけ直線或いはなだらかな曲線をしている方がいいわけです。
下図の黄色の矢印のように、くぼみがあると、波が集中して入ってくることになり、構造として非常にまずいと言うか、よろしくないわけです。
端島073

では何故矢印のような海岸線(埋め立て)になってしまったかというと、それは下図を見れば一目瞭然である通り、もともとこの場所には海面下に、埋め立てに足る岩盤(岩礁)がないからです。
端島地盤072

古い時代、この場所には、個人商店などが建ち並んでいました。
しかし、大きな波が来ると、下図の通りです。またこちら側の岸壁は東シナ海(外海)側を向いており、台風クラスの波がくるととんでもないことになります。
近くの25号棟の屋上から多くの住人が見物していますが、手前のお店は倒壊し始めています。
商売を営む家族が暮らしていたと思うのですが、どういう気持ちだったのでしょうか・・・。考えると胸が痛みます。
こういうことは、あまり書きたくありませんが、島で商売をされていた人達は、こういった地理的に条件のきびしい場所に住むことを余儀なくされていたようです。(日給住宅などでは、防潮階と呼ばれる増水に備えるための半地下にお店等がありました)
31号以前078

そして海面から約10mある護岸も垂直に立っているため、波の破壊力を増強させ、ついにはこのようなことになってしまうのです・・・・。
つまり、ここ「くぼみ」のあたりは「鬼門」なのです。
台風被害077

そこで造られたのが、「防波棟(ぼうはとう)」と呼ばれた数棟の内の1つ、31号棟です。
その名の通り、護岸すれすれに建っており、護岸の形状に合わせて、九の字に曲がっています。
下図の通り、隣の30号棟より40年後に建てられた、当時最新鋭の白亜のアパートなのでした。
ちなみにこの31号棟、私が端島で一番好きな建物です。
31号棟

防波棟と呼ばれる所以ですが・・・・
①海側の窓が他の棟より小さい。
②壁は城壁並みに厚く造ってある。
③海側に居室でなくて、廊下がある。
              ・・・などの設計上の特徴があります。

31076

まさに「最前線」の造りをしているわけですね。

その他にも、この31号棟、ど真ん中を「ボタ・コンベア」が貫いていたり(実際はコンベアの方が先にあった)、郵便局や共同浴場があったり・・・と島の為に「人一倍?」がんばっていたアパートなのです。













本日、9/16の31号棟です。かなり傷み、塗装もはげていますが、閉山後36年経った今でも、「防波棟」としての堂々とした姿は保っていますね。
DSCF3860

ちなみに以前、来られたお客さんの中にかつて31号棟に住んでいたという方がいました。お話をうかがうと、波の恐怖よりも、「住みやすい、いいアパートだったという思い出しかない」と話しておられました。

また、別の機、日給住宅の地階で親がお店を出していたという方とも話しをする機会がありました。
確かに波が島内にあふれるような時は大変だったらしいのですが、それよりもやはり「島はひとつの家族」のようなもので、立場は違ってもみんな仲良く楽しく暮らしていたという思い出が強い・・というようなことを話されていました。


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