当たり前のことですが、気の利かないヒトほど、「余計な」ことを言いますね。そしてまた余計なことを言うヒトほど、わざわざ近寄って来ていいます。・・・それを「余計」だとは認識していないからです。
そういうヒトは、そういう余計なことを毎日くり返し言います。
また、自分で言ったことを、まず覚えていません。
加えて、そういうヒトはまず、いい事はいいません・・・。
こういうヒトが身近にあり避けられない状況にある人は、まったくもって気の毒としか言いようがありません・・・・。


「平戸・松浦・北松の100年」より
昭和30年代に松浦市御厨町で撮影されたスナップ。
「眠い目をこすりながら早起き。蚊帳をくぐって出席カードを首から下げて近所の会場へ走る。地区長の上級生から竹製の判子を押してもらいクワガタ取りへ。小学生の正しい夏休みの一日の始まりである。」と記してあります。下線の部分がいいですね!
御厨003

同じく御厨町で昭和34年に撮影されたもの・・。
「・・・・囲炉裏や火鉢は火が燃えていることで自然と人を引き寄せた。物は少なくても心は豊かな時代だった。」とあります。
御厨2004
まったく同感です。
「便利=売れる(カネになる)」という短絡的な(非・未来展望的?)な経済構造はすぐにでも修正が急がれるばかりです。

それは、おそらく少子化と児童虐待が同時に増加している現代に一石を投じることでもあると思うのです・・・・・。