ガイドツアーが欠航になったので、子どもの学校で行われた「被爆体験講話」を聞きに行くことができました。
今年の語り部さんは、私の母校でもある西浦上小学校で教師をされていたこともある80才くらいの男性の方でした。

子ども達の後ろから聞いていたのですが、先生達は相変わらず、途中横を向いたり、うつむいている子どもの頭をつついたり・・・・・という姿が、かつての自分に重なって、なつかしく?もありました。
で、今年、思ったことですが、こういった「被爆講話」や「戦争体験」の話は、途中で「飽きられる」からこそ、救いがあるのだ!・・ということ。教師時代の自分は、やはり今日の先生方と同じく、「語り部の方に、失礼のないように!」という思いで、講話の間中カリカリしていていました。
でも、考えてみれば、子どもが途中で、話に飽きたり、集中を切らしてしまうのは、「他人を殺す=ヒトを殺す=他を攻撃する」という内的なリアリティーを持ってないからこそです。そしておそらく全ての子どもが無意識的に抱いている疑問は・・・「ヒトを殺し苦しめる戦争はいけない。じゃあなぜ、そのわかりきった事を昔の大人達はやったのか?そして今もまだ世界のどこかで続いているのか?」でしょう。・・・・それに対しての答えを毎年、毎回我々は提示できているでしょうか????
「その説明をするには、まだ子ども達には発達段階として難しい」と逃げてしまえば、それまででしょうが、結局は、そのへんの矛盾から集中をなくしていったとしても、それは誰も責められないだろうし、「むごい」表現に異様な興味を持つよりは、まだ「飽きる」という状態の方が救いがあるようにさえ思えます。

しかし、尚、こういった「平和学習」は大変に意味のある取り組みであるように思えます。
毎度手前味噌的な言い方ですが・・・自分が行った「平和学習」の中で、もっとも自分自身で納得がいった取り組みは、平和集会における演劇でした。離島での赴任中、夏休み中の登校日(8/9)に行ったものでした。
小さな中学校ですが、生徒会役員と専門委員で配役を決め、練習に励みました。シナリオは私のオリジナルで、学徒出陣をした兵士達の手記、「きけわだつみのこえ」と松本零士氏の漫画「スタンレーの魔女」、そして特攻隊の出撃基地となった鹿児島県知覧に実在された食堂の主、鳥浜トメさんの実録を混ぜ合わせて構成したものでした。音声に「玉音放送」を使ったり、教頭先生に習って「海ゆかば」を合唱したり・・・と小さい学校ではありましたが、結構水準の高いものができたという自負がありました。
余談ですが、その学校は「夜中に霊が出る」「怪現象が起きる」として有名な学校でした。よく文化祭など、学校行事の際には、急に原因不明の電源トラブルも起きましたが、これはおそらく怪現象の仕業 だろうと言われていました。(事実、行事後には、何事もなかったように復旧しました)
この時も、劇の最中に「怪現象」が起きるものと覚悟していましたが、めずらしく?この時は何もおきませんでした。おそらく私の死んだじいちゃんが、「孫が、めずらしく、よかことばしようとしとるんじゃ!お前ら、邪魔ばすんな」ということで、霊魂に?圧力をかけてくれたんだ!・・・と感謝した思い出があります。そのじいちゃんは、かつて満州鉄道で働いていたのですが、幹部昇進の話を蹴って「家族のために、軍のやり方」を捨て、農民民を選んだヒトでした。そして大酒のみだけど、やさしい手紙を孫に書いてくれるヒトでした・・・・。