梅雨・・・海上は荒れ模様。軍艦島にしばらく上陸していません。まだ一週間空いてませんが、もうすでに「少しさびしモード」に・・・・!?。

今日、NPO「軍艦島・・・」事務所に寄った後、帰り道のルートにある「魚の町アパート」を早速見てきました!。プチ感動でした。オオーw(*゚o゚*)w
 住人の方がおられるので、何度が通り過ぎただけ(十分、不審!?)なのですが。いや~~確かに「軍艦島に負けないアパート」でしたね~。ビルの中に囲まれてるだけに、よけい親しみを感じてしまいました。

4階建てですが、30号棟や日給社宅に負けない「風格」を持ってますね~~流石です!
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↓「長崎幼稚園」サイドから見た「魚の町AP」。
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屋上に手摺りが見えます。この頃のAPに特徴的な要素ですが、屋上が住人達の語らいの場であったり、子ども達の遊び場であるという共同空間としてコミュニティ形成に大きな役割を果たしていたことが伺えます。

また地下の共同の物置場も見受けられました。私が幼い頃住んでいたAP群の中にも、やはり地下階を持つAPがありました。この地下階というのも、我々にとっては、探検をするのにうってつけのスポットとなっていました・・・。

今の公団やマンションと決定的に違う造りは、やはり「共同空間」というものであると思えます。ふ206
私の住んだ住吉・はやぶさ棟はこの魚の町APや軍艦島の2号棟と似ていますが、階段の踊り場には、外を展望できる空間がありました。
←「長崎弁かるた」に描いた、この絵は、かぁちゃんから叱られて外に出された時に、この踊り場で、外を眺めていた時のことを思い出して描いたものです。
こうしていると、たまに通るヒトが声をかけてくれたり、助け船を出してくれる兄貴が帰ってくるのを確認できたりと、なかなか重宝したスペースでした・・・。


今日のお客さんとちょっと話していたことですが、軍艦島を訪れる多くのお客さんの中には、かつての住人達の生活をあとを、ほんの少しだけでもいいので、垣間見てみたい・・という思いがあるのではないでしょうか・・・。
もしそういうことができたとすると、そこから発せられるメッセージというものは、きっと大きなものがあるように思います。

↓これはもう何年のも前に撮った、崎戸炭坑の炭坑APの一室で撮ったものです。この部屋の押し入れに残された「子どもの落書き」を見た時に、何とも言葉にはできない思いが込み上げてきたのを覚えています。今はもうこのAPもありません・・・・・。
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