私の非常にお気に入りなのですが、以前、お仕事が縁で知り合った方の、『ちびたろうのさるく日記』というブログがあります。
とても私の感性や観点と近い見方・とらえ方をされているような気がしていて、一日に一回くらいは閲覧をしているブログです。そして、軍艦島ツアーガイドを始めることになった際にも炭坑関連記事など、精読させてもらいました・・・。
そこに6/18付けで『軍艦島にも負けないアパートが、市内のど真ん中にある!』
という記事がUPされまして、驚いた・・というか、とてもうれしくなりました。(記事を参照のこと!)
地図で確認していると、この「魚の町AP」、以前独身時代に住んでいた興善町のAPから至近距離にあり、しかも車を置いていたガレージの道を挟んだ向かい側ではないですか!w(゚o゚)w オオー!
この頃は、茂木中に教師として赴任していた教師2年目であり、仲間に恵まれた、教師生活の中でも「いい時代」でした。その頃、「軍艦島に負けない」アパートがすぐ側に(知らなかったとは言え)建っていたというのは、本当に感慨深いものがあります・・・。(●´ω`●)
ちびたろうさんによると・・・「建築は1948(S23)年、満62歳。
戸数24戸、間取りは8・6・K。
現存する日本最古の公営アパートとも言われています。」


   ↓は私が生まれ育った長崎市の住吉AP群です。
昭和9年・住吉3

昭和9年・住吉2

「戦後9年・・・つまり昭和29年の写真ですが、まだこの頃は白亜の?APであるように見えますので、おそらく私の住んだ「はやぶさ棟」も昭和25,
6年ころの建造だと推測されます。
それにしても、まわりには長屋風?炭坑住宅風?の住宅が建ち並び、本当にこの一角が「軍艦島」のようにさえ見えます・・・。(*゚∀゚)っ

「魚の町AP」とほぼ同世代ということになると思いますが・・・ちなみに軍艦島のAP群で、同時期の建設はと言うと・・・
↓2号棟(昭和25年)
2号棟894
↓67号棟(昭和25年)
67
・・・・があります。
私のいた「はやぶさ棟」と「2号棟」・・・なんだかデザインも似ています。そして「魚の町AP」も持っている雰囲気は一緒ですね。
また、この時代に「67号棟」のようなモダンな建築が造られたことも興味深いです。

今日は濃霧のため、ツアー船が引き返しましたので、時間が出来ました。で、長崎市図書館へ行って、短時間でしたが、「宮本常一」氏の著作の中で、日本各地にあった「差別」についての項を読みました。
概略すると、これら山間部など閉鎖的な集落に存在した「差別」というものは、「村八分」はもちろん、「狐付き」「犬神」「ライ病筋」など・・ほとんど何の根拠もないものが多かったそうで、これは西洋にあった「魔女狩り」にも似ていたそうです。つまり「飢饉」や「疫病」など、その社会に不都合なことがおこると、民衆の怒りの矛先をそらすために、弱い立場にあった人を「生け贄」にするようなことなのでしょう・・・。
私はインディオや原住民の社会が理想だとは考えていません。「社会」という都市形態を成していたとしても、その社会が「いろいろな地域から集まってきた人々」の集合体として成り立っており、そこにはかつての「軍艦島」のような利害(宗教・出身地なども)を超えた優れた、血の通ったコミュニティーがあったことを考えると、「もっとも理想的な社会」というものは、この先の未来にあるだろうし、あるべきと思うのです・・・。

ちびたろうさんの記事を読みながら、そんなことを考えました・・・。