宮本常一著の「私の日本地図⑮ 壱岐・対馬紀行」を読了しました。とっても面白く深い名著でした。
この宮本常一というヒトの考え方・感じ方に大変共感を覚えるとともに、その人柄にも引きこまれてしまいました。
「対州馬」の縁で、この本に出会えたことをとてもうれしく思います。そして宮本氏の撮影した同著の表紙にも子どもの姿が見えることで、何か全てがわかったような気がします・・・。

同著のp223から224にかけて特に秀逸な文章があると思いましたので、一部紹介します。

・・・・いずれにしても島は大きく変わり始めている。
 それにしても、これからさきこの島人は何をしてゆけばよいのか。この島を訪れる観光客は次第に多くなりつつある。その多くはこの島の自然美をもとめてやって来る。岳の辻、八幡崎、そのほか郷ノ浦、勝本付近の海岸美をもとめて来る。この島には人の心をひくような文化的な遺跡は比較的少ない。史蹟といわれるものも文永・弘安の役の古戦場であるとか、国分寺西北の古墳群、安国寺などが旅人の心をひくものであろうか。
そういうことを反省するにつけて、現在の人々は何を残してゆけばよいのであろうか。いま次々に建てられつつあるコンクリートの建物は、はたして人の心をひく文化財たりうるだろうか。もうぼつぼつ島の文化を知る手がかりになるような博物館、それも歴史や民俗ばかりでなく、陸や海の自然や動植物などの生態を知り得るような公園なども作られてよいのではなかろうか。それもケチなものでなく、壱岐の人達の夢やエネルギーのあふれ出たようなものであってほしいと思う。
 その気になれば、そういうものは年数をかけさえすれば実現もむずかしくない。日本ではそういうものを多くは観光客のために作られる。そういう施設を訪れるものはたいてい観光客である。しかし家族で訪れることのできるようなものを作りたい。外国では博物館や植物園、動物園は親子や家族が多くそこを訪れている。そして親と子をつなぐ大切な絆の役割をはたしている。日本のそうした施設は親子をつなぐに足るほどの充実した内容をもったものが少ない。むしろ無いところが多い。
 近頃歩いていてもしきりに思うのは、今の人達は後世の人達に対して誇り得るものとして何を残せばよいのだろうかということである。今日の観光というのは、先祖の残した文化、あるいは自然美などの居食のようなもので、現代の人々の作り出したものはきわめて少ない。これでよいのだろうかと思う。・・・・・

宮本氏が壱岐・岳の辻において風景を眺めながら考えたことなのですが、すでにこの時、来るべき近未来を予見していたのでしょう。
とても考えさせられる部分だと思いました。

taisyuu2861


2/28(日)長崎新聞子ども欄「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」最終回は、ささやかながら福岡県に実在した江崎 舞さんという少女へのレクイエムという意味合いがありました。江崎さんについては1/11の記事に詳しく書いています。本当に僭越なことだとは思うのですが、対馬という背景、対州馬とつなげて、車椅子の少女=江崎舞さんという自然なイメージのつながりが持て、この最終作ができました。