今、軍艦島こと「端島」を描いています。これは連載誌上でご披露できると思います。当然今は上陸できても、ほんの一部しか歩けませんので、絶対的な画像資料を採取することが出来ません・・・。資料だけが頼りで、ネットも含めてあらゆる画像をくいいるように見ていますが、分からない、よく見えない所だらけ・・・という現状です。

それにしても、端島には有名な「地獄段」という場所があるのですが、それは単に急勾配の階段が続いているというだけのことで、悪い由来などがあるわけでは全くありません。
端島に関する記事や資料を見ていると、これらの「軍艦島」「地獄段」に加えて「廃墟」「強制連行の地獄島」などの文字に出くわすことが少なくありません・・・。これらの暗い文字がますます端島のイメージを勝手に一人歩きさせてしまっているようで、なんとも腑に落ちません。

「廃墟」・・・・全国からマニアの方がわざわざお金を使って集まってきたり、無断上陸して荒らし回っているようですが、日本の至る所に廃墟はあるし、第一自分達の住む街さえ「廃墟化」してることに気づかないのだろうか!・・・・という不快感を覚えます。廃墟マニアと称する方は一度、自分が生まれ育った場所が今どうなってるか、見に行くといいと思います。

「地獄島」・・・・これも「廃墟」と同じく戦時中は日本の至る場所でひどい行いがされていたわけで、あたかも一部の炭鉱だけで、こういった仕打ちが行われていたなどと誤解させるような指摘はどうかなぁ・・と思います。敢えて言うなら、強制連行された人にとって日本列島そのものが「地獄島」だったのではないでしょうか。

端島にはやさしいものも沢山ありました。

「階段・通路」・・・エレベーターはないけど、棟内の階段は、とても広くて勾配も緩やかだったそうです。

「やさしい足音・街の音」・・・鉱山は24時間操業で3交制だったため、いつも人が歩く足音や鉱山の音、生活の音があったそうです。島に住んでいた人にとっては、いつもしているので、全く記憶にないくらい馴染んだ音で、むしろ安心のあるものだったそうです。

「やさしい灯」・・・・有人島の頃の端島には灯台がなかったそうです。24時間操業なので、いつも島には生活の灯や鉱業所の灯があったからです。ひとつひとつの裸電球の灯にそれぞれの生活が伺えるその灯をぜひ近くの船上から見たいものでした。

「やさしい名前」・・・・島の人達の出会いと別れを見守り、生活物資などの生命線を支えた桟橋の名は「ドルフィン」と言います。
高層APの上を越えてくる高波の降り注ぐ商店街(商店や銭湯などの集まった場所)を「潮降り街」と言います。

そういった、いいものを少しでも広めるお手伝いができれば・・と考えています。

jigokudan


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