これもいよいよ確信めいてきた?ことですが、家屋・通路・施設などを総合的に見た街(地域)の造りというのは、人間性や「暮らしの質」というものに、かなり大きな影響を与えるのではなか・・・ということです。
昔から「長崎の人はみんな親切?」みたいなことを耳にしましたが、それは残念ながら今後は期待できないし、今だって実はかなりあやしいものだと思います。街の造りが目に見えて変わってきているからです。それが悪くなっているとかいうこではなくて・・・。じゃあ何故造りが人間性や行動に影響するかと言うと・・・
極端な例を示すと、坂の小径の途中でお年寄りの方と行き会って、笑顔で挨拶し、道を譲った、その同じ人が、人通りのはげしい混み合った場所では、まるで前方の人のことなんか無視したかのように正面を突っ切って行く・・・というみたいなことでしょうか。まぁ、実際いちいち気にしていたら、人混みなんて歩けやしないのですが・・・。
また、これは車社会においても似たようなもので、坂の狭い道では、膨らんだ場所であらかじめ待ってやってお互いに合図し合いながら離合している、その車が渋滞の広い道路では横入りをくり返し、赤信号を突破し、横断中の子どもの鼻先さえすっ飛ばして行く・・・少々極端ですが、無いと名は言えないのではないでしょうか。

坂の途中の家屋は空き家だらけになり、平地にマンションが建ち並び、山をくずして宅地を造成している現在、それは言い換えれば都市化しているということだけかもしれませんが、やっぱり未来において「長崎や一部の場所だけにいい人がいる」なんてことは、まずないだろうと思います・・・・。

また、長崎の夜景というのは、誰もが認める貴重な観光資源であり、その意味で街の財産だと思うのですが、この主なものは、坂の町に灯る家々の生活の灯であって、意図的・計画的に造られた「照明プラン」などではないことは、言うまでもないことです。
長崎新聞新書「軍艦島の財産~風化する近代日本の象徴」の中の「夜の島」の項に、次のような文章があります。

『・・・・当時は灯台の役目までしていたこの島の灯がすべて消えて35年以上たってしまったが、一時、ここをライトアップしようという計画があったらしい。しかし、私たちが求めている灯は、ライトアップの、見せるためだけの灯ではなく、家族や家庭がともす ほのかな裸電球のやさしい灯である。・・・・』

もっともなことです。この言葉は街と人というものを考えるときに、とても考えさせられます・・・。