アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

2010年10月

「原爆」を名を背負う病院

「 日本赤十字社 長崎原爆病院 」

原爆症に関する治療と研究を使命とし、昭和33年に長崎市長を開設者として長崎市片淵町に作られた医療機関です。
どういういきさつかは不明ですが、昭和39年に総合病院としての認可が下り、44年に市から日本赤十字社へ移管されました。
そして昭和57に現在の場所、茂里町に移設され病床数も増えました。

家族が入院し、あらためてこの病棟から眺める長崎市内の景色。
市のシンボルとも言える稲佐山と岩屋山、金比羅山からほぼ等距離にあり、近くの丘に大学病院を見上げる場所。・・・・ある意味、ここは市の「芯」とも言える場所です。

昔ながらの長崎に住む人から言わせると、ここは昔は浦上川の中、或いは湿地帯であった場所であり、本当の長崎ではない・・・ということかもしれません。
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しかし、原爆投下から65年。この「原爆」を名に持つ病院は、被爆者の方々には勿論、ご遺族関係者を始め、全ての長崎市民にとって大きな存在である場所、意味のある場所であることだけは、まちがいないのです。

そして、この場所(病棟)から見る景色というのは、「芯」でありながら、「辛さ」を持って見なければならないものなのです。

上長崎小学校~市内に現存する最古の校舎

いつも横を素通り?してきた、この上長崎小学校なのですが、資料によると、この校舎(一部)が長崎市内に現存する最古の建築であるということです。
もともと、この校舎大正12年に「長崎市立高等女学校」として建設されたRC(鉄筋コンクリート製)3階建ての建物だそうです。
その後、昭和16年に「上長崎国民学校」となり、同31年より校舎を大幅に改築しているようです。
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実際は↓画像の右側の窓の大きな造りの部分が、女学校として建築された大正12年製のようです。それにしても、大正12年(1923)ということは、同潤会アパートよりも数年古く、端島のAP群と比べても、大正5年の30号棟、同7年の日給住宅、同8年の8号棟、同10年の泉福寺に次ぐ古さです。
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屋上部を拡大すると、4枚の菱形を組み合わせたタイルの装飾が施されていることがわかります。アール・ヌーヴォーとまでは言いませんが、非常に意匠を凝らした建築であることが伺えます。
意匠

手前の「庇」みたいに見えるのは、よく見ると「バルコニー」であることがわかります。こういった「粋」を感じさせる造りが何とも言えません。今の建築と違って、子ども・学生達の生き生きとした姿が浮かんでくるようです。
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校舎前の石垣もベンチを埋め込むような設計になっています。女学生達が通った頃には、このベンチにも多くの若き学生達が談笑していたのでしょうか・・・。
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現在の正門とは全く違う場所に、昔の正門らしきものが残っています。
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字体からして昭和初期の頃に使われたものでしょうか。
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今、何かと話題の「耐震化」の補強が進んでいました。・・・・景観としては余りにも殺風景な感じがしますが、しょうがないのでしょうか。
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ここは、もう正面玄関としては使われていない、かつての正面玄関です。
丁度、卒業生らしき中学生が母親と共にやって来て、先生らしき人と談笑していました。
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やはり「学校」というものは、いつの時代になっても、誰かの「ふるさと」であり「心の拠り所」なんですよね。従って、いつまでも存続していることは、卒業していった多くの人々にとって「アイディンティティーの確立・形成」の上で非常に大事なことだと思うのです。できるだけ昔のままの姿で残っていって欲しいものですね。



プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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