アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

「子どもの不登校」を克服する為のヒント ~ 林 礼子著「母さん、早く学校に行きたいよう!」

「子どもの不登校」・・・・ 親(保護者)にとって、この言葉は大変に重く、苦しい響きを持つものでしょう。


今朝、仕事先の近くで、路上に立ちすくむ小学1年生(黄色い通学帽とランドセルカバーでそれとわかります)の男の子と父親らしき人物を見かけました。何となく気になり、少し離れた場所に車を停め、しばらく様子をうかがっていたのですが、どうやら登校を嫌がる子どもと何とか行かせようとする父親であることがすぐにわかりました。

父親は険しい表情で何かを子どもにまくしたてたり、或いは手を引っ張ったりしますが、男の子は数歩歩いては立ち止まる、といった具合で、親子の置かれた状況が、かなり厳しいことは明らかでした。

実は長崎の街であちらこちら仕事をしていると、このような姿に出くわすことは、そう稀な事ではありません。少子高齢化が叫ばれ、自治体の存続さえ危ういと言われ続けているこの時代においてであるにもかかわらずです。

この父親にとって、ほんの数ヶ月前には、真新しいランドセルを背負って期待に胸弾ませていた男の子と、それを笑顔で見つめて自分の姿というものは、まるで「幻」のようであったと感じられるに違いありません・・・。


(*画像はイメージであり、内容とは一切関係ありません)

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「不登校」、その始まりはある日突然やって来たかのように思え、何が直接的な原因なのか判らず、どこに責任を求めても解決策は見出せず、何を手がかりに進んでいけば出口に近づくのかさえはっきりしません。

そもそも時が経てばよい方向へ向かうという何の保証すらなく、毎日続く心痛にいつまで耐えなければならないのかという恐怖にさいなまれることになります。

その間、他の元気そうな子ども達と比べて、家の中でひっそりと過ごす我が子の姿を見なければならないことは、「断腸の思い」そのものでしょう。


自分の教師時代を振り返っても、担任するクラスに不登校の生徒がいたことは本当に辛いことでした。

「今日こそは全員そろうかも」と期待しつつ、教室に入ると、やはりポツンとひとつ空いている机。・・・・何かしら楽しい事をしていても、その空いた机のことが頭から離れることはありませんでした。


(*画像はイメージであり、内容とは一切関係ありません)

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深い情愛で結ばれた親子の記憶が保存してある二畳の家 ~ 永井博士親子の如己堂

長崎市名誉市民外一号である、故・永井 隆博士が亡くなる約3年前から親子三人で暮らしていた住居はたった二畳一間の家。・・・長崎に暮らす自分にとっては大いに誇らしいことであるし、その家「如己堂(にょこどう)」を今、未来ある子ども達が修学旅行の傍ら立ち寄って見学している姿というのは、なんともうれしいものです。


その思いは、名誉市民になるような人がこのような謙虚な暮らしをしていたという安堵感からくるものでも、今裕福な暮らしをする人を妬む気持ちの裏返しからくるなどという、ケチくさい了見からでもありません。


この二畳を目の当たりにする時、そこにあふれんばかりの親子の情愛が詰まっていたことを今も尚、しっかりと感じることができ、それは広さや造りの立派さとは無関係であることを再確認させてくれるからなのです。


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如己堂の名の由来となった「如己愛人」の書。これは、新約聖書マルコによる福音書12章31節にある「己の如く人を愛せよ」という言葉からとられています。

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「ロード・オブ・ザ・リング」の原作者J・R・R・トールキンの才能のルーツはシングルマザーで早世した母の家庭教育にあった


2015年現在、映画化された「ホビットの冒険」シリーズと「ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)」シリーズの世界的なヒットについては、今更ここで繰り返し述べる必要もないと思いますが、その原作者であるJ・R・R(ジョン・ロナルド・ロウエル)・トールキンについては、さほど知られていないように思います。
特にその生育暦については、現代においても尚、参考になる部分が少なくないと思い、稚拙さはまぬがれないものの記事にて紹介してみたいと思いました。

↓は30年ほど前に買った、「指輪物語」の文庫本です。この時初めて目にしたトールキンの横顔は、「何となくいい笑顔をしたお年寄りだなぁ・・・」ぐらいのものでしかありませんでした。
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J・R・R・トールキンが生まれたのは、1892(明治25)年のオレンジ自由国、ブルームフォンテーン。(注:現在の南アフリカ共和国の一部。この時代はイギリスがオランダ系移民等であるボーア人(ブール人もしくはアフリカーナ)との戦争に敗れた第1次ボーア戦争から約10年が経過していた頃になります)
ドイツ系イギリス人で銀行員であったアーサー・トールキンと、やはり同じイギリス人であったメーベル・サフィールドの間の第一子としてこの世に生を受けています。続きを読む

さよなら長崎最古級の駅舎、 島原鉄道・南島原駅

2015年2月15日より取り壊し工事に入った島原鉄道・南島原駅。南島原市にある駅ではなく、島原市の中心地(島原駅から2つ目)に近い駅で、その駅舎はなんと大正2年です。
明治30年の建築である旧早岐駅・駅舎が現在どうなっているか正確な情報がわかりませんが、いずれにしても長崎県内最古級の現役駅舎であったことは事実です。
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同駅の沿革・歴史については、ちょうど駅舎内に掲示してあった案内板に詳しくでていましたので、そちらをご参照ください。
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案内板にも記してありますが、南島原駅は大正2年9月24日に「湊新地駅」として開業。その後大正7年に「島原湊駅」、昭和35年に「南島原駅」と改称して現在に至っています。
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ここは港(島原内港)が栄えていた頃の玄関駅であり、かつ車輌基地という役割を果たしていたわけですね。
この堂々とした造りを見ると当時の賑わいの様子がありありと浮かんできます。
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平成26年度末で閉校となる南島原市立梅谷小学校・白木野小学校・古園小学校・吉川小学校

2014年の4月にNHKで「廃校が招いた過疎」という特集が放送されました。番組をあらためて見直してみるまでもなく、「小中学校の廃校」→「子どもを持つ若い世代の流出」→「人口減少」→「医療機関や商業施設等の閉鎖」→「更なる人口減少」→「急激・深刻な過疎化の進行」という図式は誰にでも理解できますが、更に番組のデータファイルサイト、「DETA FILE.JAPAN」では、『教育効果を上げる為の統廃合すらも限界にくる!』と予想しています。  

それでも尚、閉校ラッシュが続いているのは、財政問題やその他の事情が存在するということなのでしょうが、毎年何校も閉鎖されていくこの「速さ」にはいささか恐怖すら覚えます。

今回はタイトル通り、2014年の秋、「平成26年度をもって統廃合の為閉校となる南島原市の4小学校(正確には5小学校となる)を巡り、少しだけ写真を撮らせてもらってきました。残念なことには、この日、同地区の校長会が開かれていたらしく、まったく校長先生にお会いすることができなかった為、十分なお話の取材が叶いませんでした。
したがってまったく深み・掘り下げの無い、ただ外観写真を並べただけの実に粗野な内容の記事となっており、関係者様には無礼千万であると、ただただ恐縮の限りですが、それでも遠く故郷を離れられている方には写真を眺めるだけでも、いくらか役に立つこともあろうかと思い、記事にしました。その点をどうぞご了承下さい。

まず初めに訪れたのが、南島原市立梅谷(うめだに)小学校です。 (南島原市南有馬町己2889番地)

梅谷校の開校は明治19年。「清谷学校」の名で、1棟の倉庫からスタートしています。その後、「簡易古園小学校」「古園尋常小学校梅谷分校」「古園尋常小学校梅谷分教場」「南有馬町古園国民学校梅谷分教場」「南有馬町立梅谷小学校」と名称を変え、移転・改築を繰り返して今に至っています。

現在の正面玄関です。靴箱に置いてある靴の数でおおよその生徒の数が想像できます。

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正面の掲示板、左下に掛けてある写真は、この古写真です。
これは、昭和6年に撮られた、梅谷分教場の落成式の記念写真です。写真に写る人たちは紋付羽織袴やスーツに身を包み誰もが晴れやかな顔をしています。
地元の子ども達が通う学び舎が段々とよくなってきたことへの喜びがひしひしと伝わってきます。
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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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