アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

地域から消えてゆく子どもたちの声~南島原市立見岳小学校、龍石小学校、慈恩寺小学校、長野小学校、布津小第一分校、第二分校

少子高齢化。同時に進行する過疎化。それは自治体消滅が明示されている本県において、年々深刻さを増しているように思われます。
南島原市。伝説の巨人、みそ五郎の見つめる雲仙山麓のこの地に、本年度27年度末をもって、6校(受け入れ校を含めると8校)もの小学校が、地域から消えてしまいます。
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本来であれば、長い歴史を持つそれぞれの学校を取材し、ていねいに記事を書かなければならないことは重々承知していますが、あまりの多さにそれができずにおります。

そこで、今回は「学校があった頃の音=子ども達の声々」を少しでも残したいと思い、短時間ですが動画を撮りました。

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みそ五郎どんの高岩山をガイドするのは、かつて主のいなかったビーグル犬・大五郎

南島原市・高岩山には「みそ五郎どん」という心優しき大男の伝説があります。
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その伝説とは・・・・・

『 昔むかし、西有家で一番高い高岩山に大きな男が住んでおった。この大男、人が良く、ちから持ちでだれやかれやから好かれておったそうな。みそ五郎どんは畑仕事の手伝いをしたり、山を切り開いて、畑を造ったりして、みそを分けてもらっておった。 高岩山を住みかにしとったので、朝起きて雲仙岳に腰を下ろし、有明海で顔を洗うのを日課にしておった。 そして、唯一の楽しみは雲仙岳に座り、高岩山の八間岩に足をのせて、九州の山脈、遠くの海を眺めることじゃった。そのころ遊んだお手玉石や足跡のくぼみが、今も高岩山に残っている。今日も、大きな鍬をかついで、山を切り開いて、畑にする仕事をしておった・・・・・ 』

 というもの。人が良くて、力持ち。おまけに働き者・・・という、いかにもこの地方らしい、とても良い人物なのです。(画像は、西有家町にある南島原市役所前のみそ五郎どんの像)
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みそ五郎どんゆかりの高岩山は、南島原を見下ろす高峰。その高岩山の麓にあるのが塔ノ坂(とうのさか)という小さな集落で、この塔ノ坂集落には、みそ五郎どんの人柄にも負けない、大変性格が良く利口な「大五郎」という犬がおります。(画像は、高岩山と塔ノ坂集落)
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かえって日本人への親近感を高めることとなった雲仙地獄でのキリシタン迫害

島原半島の中央にそびえる雲仙岳(正しくは普賢岳、国見岳など三峰五岳の雲仙連峰或いは山体)。
島原半島のシンボルであり、かつ国立公園第一号ともなった有数の観光地であるのは、有名なところです。
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明治・昭和期の浮世絵版画師、川瀬 巴水が描いた雲仙、「天草より見たる 雲仙」は、静かなこの地の風情をよく表しています。
かつてはキリシタンの郷として栄えた後、島原の乱(或いは島原・天草の乱)により一時は荒廃したこの地方が、2015年の今、再び世界遺産を目指す「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一部として注目を浴びようとしているという事を想うと、悠久の時の流れを感じるというのか、感慨深いものがあります。
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「子どもの不登校」を克服する為のヒント ~ 林 礼子著「母さん、早く学校に行きたいよう!」

「子どもの不登校」・・・・ 親(保護者)にとって、この言葉は大変に重く、苦しい響きを持つものでしょう。


今朝、仕事先の近くで、路上に立ちすくむ小学1年生(黄色い通学帽とランドセルカバーでそれとわかります)の男の子と父親らしき人物を見かけました。何となく気になり、少し離れた場所に車を停め、しばらく様子をうかがっていたのですが、どうやら登校を嫌がる子どもと何とか行かせようとする父親であることがすぐにわかりました。

父親は険しい表情で何かを子どもにまくしたてたり、或いは手を引っ張ったりしますが、男の子は数歩歩いては立ち止まる、といった具合で、親子の置かれた状況が、かなり厳しいことは明らかでした。

実は長崎の街であちらこちら仕事をしていると、このような姿に出くわすことは、そう稀な事ではありません。少子高齢化が叫ばれ、自治体の存続さえ危ういと言われ続けているこの時代においてであるにもかかわらずです。

この父親にとって、ほんの数ヶ月前には、真新しいランドセルを背負って期待に胸弾ませていた男の子と、それを笑顔で見つめて自分の姿というものは、まるで「幻」のようであったと感じられるに違いありません・・・。


(*画像はイメージであり、内容とは一切関係ありません)

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「不登校」、その始まりはある日突然やって来たかのように思え、何が直接的な原因なのか判らず、どこに責任を求めても解決策は見出せず、何を手がかりに進んでいけば出口に近づくのかさえはっきりしません。

そもそも時が経てばよい方向へ向かうという何の保証すらなく、毎日続く心痛にいつまで耐えなければならないのかという恐怖にさいなまれることになります。

その間、他の元気そうな子ども達と比べて、家の中でひっそりと過ごす我が子の姿を見なければならないことは、「断腸の思い」そのものでしょう。


自分の教師時代を振り返っても、担任するクラスに不登校の生徒がいたことは本当に辛いことでした。

「今日こそは全員そろうかも」と期待しつつ、教室に入ると、やはりポツンとひとつ空いている机。・・・・何かしら楽しい事をしていても、その空いた机のことが頭から離れることはありませんでした。


(*画像はイメージであり、内容とは一切関係ありません)

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深い情愛で結ばれた親子の記憶が保存してある二畳の家 ~ 永井博士親子の如己堂

長崎市名誉市民外一号である、故・永井 隆博士が亡くなる約3年前から親子三人で暮らしていた住居はたった二畳一間の家。・・・長崎に暮らす自分にとっては大いに誇らしいことであるし、その家「如己堂(にょこどう)」を今、未来ある子ども達が修学旅行の傍ら立ち寄って見学している姿というのは、なんともうれしいものです。


その思いは、名誉市民になるような人がこのような謙虚な暮らしをしていたという安堵感からくるものでも、今裕福な暮らしをする人を妬む気持ちの裏返しからくるなどという、ケチくさい了見からでもありません。


この二畳を目の当たりにする時、そこにあふれんばかりの親子の情愛が詰まっていたことを今も尚、しっかりと感じることができ、それは広さや造りの立派さとは無関係であることを再確認させてくれるからなのです。


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如己堂の名の由来となった「如己愛人」の書。これは、新約聖書マルコによる福音書12章31節にある「己の如く人を愛せよ」という言葉からとられています。

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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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