アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

原爆の遺構は、私たちの住んでいる街そのもの

毎年、多くの修学旅行生や外国人ツーリストの方々が長崎原爆資料館や被爆遺構を訪れてくださっているようで、市民として、それは大変うれしいことだと思います。
しかし、皆さんタイトなスケジュールの中での訪問となることが多いせいでしょうか、資料館の展示やパンフレットに記載されている遺構だけが、現在残されているものだと理解されているように思えて仕方ありません。
「広島の原爆ドーム」のようなシンボル的な遺構が長崎には無い分、訪問者には見えづらい点はよく理解できますが、投下後70年以上(2016年現在)経ったとは言え、『 3000℃の熱線、秒速440mの衝撃波、人体を破壊し尽くす放射線 』によって、原子野と化した場所が、そう簡単に姿を隠しきるはずがありません。

下の写真は、原爆投下後の山里小学校と、浦上川に架かる本大橋一帯を写したものです。
(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は戦争の悲惨さと平和の尊さを広く伝える為です。ご了承のほどお願い致します)
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〇で囲んだ部分には、河原に降りるための階段のようなものが写っています。爆心から、この場所までの距離は760mあまり。上記のような熱線や衝撃波、放射線の容赦なく降り注いだ場所ということになります。
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この場所は現在、どのような状況になっているのでしょうか・・・・

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 ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」は、夢と現実を知る少年期から青年期を描いた名作

カナダ出身のアーティスト、ジョニ・ミッチェルが作った「Both sides, now」は切なくも美しいメロディーで、学生時代から好きな楽曲のひとつでした。
歌詞の内容についてはこれまで深く考えようとも思わなかったのですが、現代の世界の状況やその中に置かれた子ども達、若者のことを考えるようになってから、この邦題「青春の光と影」という楽曲が気にかかるようになり、内容をつぶさに調べてみようと思いました。

やたら韻を踏んでいるのと、やや感覚っぽい内容である為に、直訳することの難しい歌詞だと思ったのですが、私の個人的な解釈として、標題のように『 理想と現実を知る少年期から青年期の心情を描いた楽曲 』として訳詞を考えてみました。
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(*本記事に使用している画像は全て著作権フリーのもので、内容とは直接関係がありません。)

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地域から消えてゆく子どもたちの声~南島原市立見岳小学校、龍石小学校、慈恩寺小学校、長野小学校、布津小第一分校、第二分校

少子高齢化。同時に進行する過疎化。それは自治体消滅が明示されている本県において、年々深刻さを増しているように思われます。
南島原市。伝説の巨人、みそ五郎の見つめる雲仙山麓のこの地に、本年度27年度末をもって、6校(受け入れ校を含めると8校)もの小学校が、地域から消えてしまいます。
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本来であれば、長い歴史を持つそれぞれの学校を取材し、ていねいに記事を書かなければならないことは重々承知していますが、あまりの多さにそれができずにおります。

そこで、今回は「学校があった頃の音=子ども達の声々」を少しでも残したいと思い、短時間ですが動画を撮りました。

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みそ五郎どんの高岩山をガイドするのは、かつて主のいなかったビーグル犬・大五郎

南島原市・高岩山には「みそ五郎どん」という心優しき大男の伝説があります。
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その伝説とは・・・・・

『 昔むかし、西有家で一番高い高岩山に大きな男が住んでおった。この大男、人が良く、ちから持ちでだれやかれやから好かれておったそうな。みそ五郎どんは畑仕事の手伝いをしたり、山を切り開いて、畑を造ったりして、みそを分けてもらっておった。 高岩山を住みかにしとったので、朝起きて雲仙岳に腰を下ろし、有明海で顔を洗うのを日課にしておった。 そして、唯一の楽しみは雲仙岳に座り、高岩山の八間岩に足をのせて、九州の山脈、遠くの海を眺めることじゃった。そのころ遊んだお手玉石や足跡のくぼみが、今も高岩山に残っている。今日も、大きな鍬をかついで、山を切り開いて、畑にする仕事をしておった・・・・・ 』

 というもの。人が良くて、力持ち。おまけに働き者・・・という、いかにもこの地方らしい、とても良い人物なのです。(画像は、西有家町にある南島原市役所前のみそ五郎どんの像)
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みそ五郎どんゆかりの高岩山は、南島原を見下ろす高峰。その高岩山の麓にあるのが塔ノ坂(とうのさか)という小さな集落で、この塔ノ坂集落には、みそ五郎どんの人柄にも負けない、大変性格が良く利口な「大五郎」という犬がおります。(画像は、高岩山と塔ノ坂集落)
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かえって日本人への親近感を高めることとなった雲仙地獄でのキリシタン迫害

島原半島の中央にそびえる雲仙岳(正しくは普賢岳、国見岳など三峰五岳の雲仙連峰或いは山体)。
島原半島のシンボルであり、かつ国立公園第一号ともなった有数の観光地であるのは、有名なところです。
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明治・昭和期の浮世絵版画師、川瀬 巴水が描いた雲仙、「天草より見たる 雲仙」は、静かなこの地の風情をよく表しています。
かつてはキリシタンの郷として栄えた後、島原の乱(或いは島原・天草の乱)により一時は荒廃したこの地方が、2015年の今、再び世界遺産を目指す「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一部として注目を浴びようとしているという事を想うと、悠久の時の流れを感じるというのか、感慨深いものがあります。
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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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