アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

平成27年度末で閉校となる、松浦市立養源小学校


遂に松浦市立養源小学校も閉校してしまうことになりました。初めて同校を訪問したのは、2011年の秋のこと。私の大好きな映画「にあんちゃん」のロケが行われた学校として、是非とも見てみたい小学校でした。(当時の記事
当時は、間もなく統廃合の波に呑み込まれてしまうのではないかと心配していましたが、正式な発表も聞かないので、なんとか存続し続けてくれるものと、かすかに期待していましたが、やはり駄目でした。
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行くと寂しくなってしまうのではと躊躇していたのですが、やはりもう一度しっかり見ておくべきと思い直し、同校に到着後、校長先生にお会いし、写真を撮らせてもらうことにしました。大変有難いことに、以前の記事の事を知っておられて、快く承諾して頂いたばかりか、閉校式のご案内までも頂きました。本当に恐縮しました。
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平成27年度末で閉校となる、東彼杵郡東彼杵町立大楠小学校

平成28年3月末をもって閉校となる、東彼杵郡東彼杵町立大楠(おおぐす)小学校。以前の記事でも紹介しましたが、この学校の校名である「大楠」は地名ではなく、樹木の「大クス」からとられています。

通常は地名が付けられることが多いのだと思いますが、木の名前が付けられるとはいったいどういうわけでしょうか?日本の小学校の黎明期とも言える明治初期の8年に、この学校が創立した時から、その「大楠」の名が付けられています。
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その「大楠」の名の元になったのは、もともと集落のある二ノ瀬集落にあったという巨大なクスノキです。現在は大クスがあったという場所に二代目のクスノキがあります(下画像・学校から坂を少し下った場所)
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しかし、校名の「大楠」は、『梢までの高さが約23.6m。幹の周囲は16.9m、直径は5.4mあり、幹の一部が空洞になっていて、畳八畳が敷け、中に大人15人が立てた』というその桁外れな大きさ・知名度にあやかったわけではありません。
明治27~28年頃、樟脳を採る為にやむなく切り倒された初代大楠を売ったお金でこの小学校を建てることができたからなのです。
つまり、初代大クスは、この学校に姿を変え、ずっと子どもたちを育んできということなのです。
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原爆の遺構は、私たちの住んでいる街そのもの

毎年、多くの修学旅行生や外国人ツーリストの方々が長崎原爆資料館や被爆遺構を訪れてくださっているようで、市民として、それは大変有うれしいことだと思います。
しかし、皆さんタイトなスケジュールの中での訪問となることが多いせいでしょうか、資料館の展示やパンフレットに記載されている遺構だけが、現在残されているものだと理解されているように思えて仕方ありません。
「広島の原爆ドーム」のようなシンボル的な遺構が長崎には無い分、訪問者には見えづらい点はよく理解できますが、投下後70年以上(2016年現在)経ったとは言え、『 3000℃の熱線、秒速440mの衝撃波、人体を破壊し尽くす放射線 』によって、原子野と化した場所が、そう簡単に姿を隠しきるはずがありません。

下の写真は、原爆投下後の山里小学校と、浦上川に架かる本大橋一帯を写したものです。
(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は戦争の悲惨さと平和の尊さを広く伝える為です。ご了承のほどお願い致します)
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〇で囲んだ部分には、河原に降りるための階段のようなものが写っています。爆心から、この場所までの距離は760mあまり。上記のような熱線や衝撃波、放射線の容赦なく降り注いだ場所ということになります。
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この場所は現在、どのような状況になっているのでしょうか・・・・

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 ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」は、夢と現実を知る少年期から青年期を描いた名作

カナダ出身のアーティスト、ジョニ・ミッチェルが作った「Both sides, now」は切なくも美しいメロディーで、学生時代から好きな楽曲のひとつでした。
歌詞の内容についてはこれまで深く考えようとも思わなかったのですが、現代の世界の状況やその中に置かれた子ども達、若者のことを考えるようになってから、この邦題「青春の光と影」という楽曲が気にかかるようになり、内容をつぶさに調べてみようと思いました。

やたら韻を踏んでいるのと、やや感覚っぽい内容である為に、直訳することの難しい歌詞だと思ったのですが、私の個人的な解釈として、標題のように『 理想と現実を知る少年期から青年期の心情を描いた楽曲 』として訳詞を考えてみました。
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(*本記事に使用している画像は全て著作権フリーのもので、内容とは直接関係がありません。)

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地域から消えてゆく子どもたちの声~南島原市立見岳小学校、龍石小学校、慈恩寺小学校、長野小学校、布津小第一分校、第二分校

少子高齢化。同時に進行する過疎化。それは自治体消滅が明示されている本県において、年々深刻さを増しているように思われます。
南島原市。伝説の巨人、みそ五郎の見つめる雲仙山麓のこの地に、本年度27年度末をもって、6校(受け入れ校を含めると8校)もの小学校が、地域から消えてしまいます。
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本来であれば、長い歴史を持つそれぞれの学校を取材し、ていねいに記事を書かなければならないことは重々承知していますが、あまりの多さにそれができずにおります。

そこで、今回は「学校があった頃の音=子ども達の声々」を少しでも残したいと思い、短時間ですが動画を撮りました。

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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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